意外や意外!
【VANISHING POINT 】のプロデューサーであるY女史の粋な計らいで実現した、沖縄での再上映&トークショーに出かけて参りました。
上映後、一緒に壇上に上がってくれたのは、ブランキーの元マネージャーF氏、彼の芯の通ったお話のおかげで、僕も何とか大役を果たすことが出来ました。
更に有り難かったのが、彼の用意してくれたブランキーレアグッズの数々。
それらお宝の山を横目で見ながら、(よだれが出そうな気分で)ひたすら抽選クジを引くしか能のない、ミーハー監督でありました。
全国のブランキーファンが聞いたら、真っ赤になって怒りそうな至極の時間でしたが、ここはひとつ僕の生まれ故郷ということでご容赦ください。
この企画の為にお力添え頂いた関係者の皆様、わざわざ劇場まで足を運んでくださった観客の皆様、本当にありがとうございました。

久しぶりの帰郷ついでに数日間滞在を延ばし、夜な夜な旧友達と杯を重ねる中、少々驚かされたことがありました。
それは、映画館にも来てくれた彼らの「感動したよ!」という予想外の反応でした。
今更おべんちゃらをくれるような仲でもなく、ブランキーの音楽とは縁遠い世界に暮らすおじさん達は、今回おそらく僕に対する友情だけで劇場に行ってくれたはずです。
普段、演歌や民謡を聞いている友人は、上映後別の友人に「セッションって何?」と大真面目に訊ねていた程です。(笑)

ポップロックやジャズの音楽活動を長年続けている友人達にとっても、Blankey Jet City というユニットは大いに刺激的だった様子。
激しいロックをあまり好まない東京の仕事仲間達からも、以前に同様の感想は頂戴していましたが、ゆったりと時を過ごすこの地の人間には、正直あまり期待していませんでした。
そんな思いもあり、皆の好意的な感想は僕の酔いを更に心地良くしてくれたのでした。
酒の席ではありましたが、それぞれ趣味趣向の異なる大人達が、大真面目に音楽を語るきっかけをくれ、そしてジャンルを超えた音楽の真髄というものを、このドキュメンタリーはプレゼントしてくれたようです。

そして、もう一つ僕を驚かせたのは、我が高齢の父親も劇場に来てくれたこと。
地元の新聞記事に載った映画公開情報を、つっけんどんに知らせてはおいたのですが、まさか実際に観に来るとは、想像だにしていませんでした。
まあ、父は耳が遠くなっているので、映画の爆音は心配無用でしたが(笑)
(字幕を入れといてヨカッタ!!)

長年心配をかけ通しの馬鹿息子がプチ親孝行させてもらったこと、それこそが僕にとって最大の収穫でした。ハイ!



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肩の荷
なんやかんやで、半年程かかりっきりになっていた大仕事が、先日めでたくアップしました。
情報通の方々でしたら、すでにご存知かもしれませんが、来年1月に公開予定の映画の話です。
そのタイトルは【Blankey Jet City VANISHING POINT】
今更説明の必要もないでしょうが、日本のロックバンド "ブランキー・ジェット・シティ"を追った、私的ドキュメンタリーです。

熱狂的なファンに惜しまれつつ、この孤高の3人組が解散したのは、もう13年も前になります。
この映画は、彼らの最後のビデオ作品 "LAST DANCE"に至るツアーの様を、僕が個人的に記録したものです。
いつの間にか干支が一回りしてしまう程、時が経ってしまいましたが、これほど寝かせるつもりのなかった素材が、こうした形で日の目を見たことは、僕のみならずブランキーのファンの方々にとっても朗報だと思います。
関係者の皆様のご尽力に対し、この場をお借りして、心からの感謝を申し上げます。

ブランキーの3人とは、1994年の "MONKEY STRIP" から2000年の "LAST DANCE"まで、主にライブビデオで共に時間を過ごしてきました。
けっして自分を飾ることも、一切の虚勢を張ることの無い彼らは、(それに慣れていない人たちから)時に怖れられたり、誤解されたりもしたようですが、僕は彼らのそんなところが大好きでした。
相手に気を使って言葉を選んだり、周りの空気を読んだりするのが無縁の男たちには、向かい合う側もそれなりの覚悟が必要になります。
もし、心にも無い薄っぺらな言葉を口にしたり、適当に相づちを打とうものなら、瞬時にして見透かされてしまい、ガラガラと心のシャッターを降ろされてしまうのがオチです。

僕も、最初の頃はその距離感がつかめずに多少は緊張したものですが、1度その本質が理解できると、逆に気が楽になるものです。
余計な気遣いも必要ないし、ただ素直な感情でコミュニケーションをとれば良いだけなのですから。

短くも深かった、彼らと僕との付き合いの中で、音楽と映像という関係が、いつしか”お仕事”ではない”共同作業”という形で自然に行えるようになったのは、今でも幸せな記憶として残っています。
この映画の中で、僕のハンディーカメラがどこでも遠慮無しにズンズン入り込んでいけたのは、そんな互いの空気感が関係していたのかもしれません。

幾度か浮かんでは消えていった映画化の話が、こうして実現でき、やっと肩の荷を降ろせたというのが、正直な僕の気持ちですが、何故13年もの歳月が必要だったのかについては、色々思うところもあります。
ひとつはっきり言えるのは、かつてのブランキーキッズたちに、この映画が必要とされる時が来たのだろうということです。

この作品は、単なるノスタルジーで生まれたのではありません。
ブランキーの音楽に青春を捧げ、ライブハウスで踊り狂い、大声で歌い泣き叫んでいた、激しく傷つきやすい若者たちの為に蘇りました。

そんな彼らが大人になり、仕事や家庭を持ち、毎日を懸命に生きている今、もう1度あの頃の熱いエネルギーを思い出して欲しいと、(あえて付け加えれば、僕自身に対して)のメッセージなのです。

理不尽な事柄にがんじがらめにされ、行き場を見失いかけている不器用な人たちに、今一度思い出して欲しい。
ただ純粋に生き急いでいた、あの頃の自分のことを。

そんな気持ちが、編集を重ねるにつれ強くなっていきました。
この映画は、僕の個人的な視点で綴られていますが、見る人それぞれが僕になり代わって、ご自分の青春にタイムスリップしてもらえたのなら、望外の幸せです。

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秘密兵器
またまた電車ネタで失礼します。
休日の夕刻どき、ちょい混み車内での出来事です。
運良く座れた僕の隣には、子連れの若いお母さんが腰掛けていらっしゃいました。
僕が腰を下ろすと同時に視線が交わった幼子は、人相の悪いオヤジに怖じ気づいたのか、赤く腫れぼったい目でキョトンとこちらを見つめています。
何やら周りに漂う不穏な空気から察するに、つい今しがたまで相当荒れていたご様子。
彼の態度の急変に

「まあ〜自分で泣きやんだの〜、エライね〜!」

と、間髪をいれずに小皇帝を褒めちぎるお母さん。
車内の緊張感も、一瞬緩んだような気がしました。
しかし、平和な時はつかの間。
凶暴そうな男が自分に危害を加えないことが分かると、幼児はすぐにむずがり始めました。
まだ会話が得意でなさそうな彼は、今相当に虫の居所が悪いらしく、母親がすることに対しことごとく刃向かっていきます。
時折僕の方に子供の体が触れるのを気にして、

「どうもすみません。」

頭を下げるお母さんの疲れ切った表情が少々気になりました。
そんな母親の気を引きたい小皇帝、次第にやんちゃぶりをエスカレートさせます。
あろうことか、今度は揺れる車内に裸足のまま仁王立ちになり、

「ママ〜 みて〜 ママ〜!」

得意そうに雄叫びを上げます。

「エライね〜、ぼく、すごいね〜!」

と言ってあげれば済むことなのに、若いお母さんにそんな余裕は残っていません。

「どうしてママの言うこと聞いてくれないの?!」

こりゃ、ちょいとヤバイ展開です。
周りに目をやると、せっかくの休日の締めくくりを、こんなヒステリックな場面で締めくくることへの不愉快さが、乗客の無粋な表情から見て取れました。
そんなピリピリした空気を察知してか、彼女の感情の糸も切れる寸前です。

「もう、やめて!!」

子供を無理やり引き寄せた母親は、そのまま小さな身体をシートに押さえ付けます。

『やっても〜た〜・・』

案の定、ありったけの大声で泣き出した小皇帝は、足を激しくバタつかせます。
それが母親のお腹を直撃したのか、母親はついに感情を爆発させてしまいました。

「あんたが蹴ったら、ママもお腹の赤ちゃんも死んじゃうんだよ!!」

そのセリフに、一瞬車内が凍りつきました。


もはやこれまでと感じた僕は、ポケットからある秘密兵器を取り出しました。
それは大抵の小悪魔どもをシャラップ状態にする、魔法のガジェットでした。
勘のいい方はもうお分かりでしょうが、そうiPhoneです。
実は、こやつを取り出すタイミングを探っていたのでした。
生憎その日はバッテリー残量があと数パーセントの状態だったもので、ずっと出し渋っていたのです。
いざ見せたはいいけれど、楽しんでいる最中に強制終了してしまっては最悪ですから。
しかし、そんなことは言ってられません。
僕は適当なアプリを立ち上げ、やおら小皇帝の鼻先に画面を差し出し、

「ほらっ 凄いよ〜、ここ触ってごらん!」

と、声をかけたのでした。
不意を突かれた敵は、毒気を抜かれ再びキョトンとしています。
思いがけない援軍の登場にこれ幸いと、

「うわ〜っ すごいね〜!」

母親も臨機参戦です。
老練な連合軍の思惑に翻弄された、若い司令官はひとたまりもありません。
次々に繰り出されるエンタメパンチに、シナリオ通り瞬時に武力放棄してくれたのでした。
少し余裕を取り戻したお母さんに、

「1歳半くらいですか?」僕は話しかけてみました。

「もう2歳半なんです。」すまなそうに答える彼女に、

『いらんこと言っても〜た・・』反省しながらも僕は続けました。

「こんくらいの頃は、宇宙人だと思った方がイイですよ。」

なんて知ったかぶりの会話は、さぞやぎごちなかったでしょうが、そうこうしているうちに、呆気なく親子の降車駅に到着してしまい、

「本当に助かりました。ありがとうございました。」

母親は頭を繰り返し下げながら、愛息を抱いて足早に降車して行きました。


急に静けさを取り戻した車内で、残り2パーセントになったiPhoneの電源を切りながら、僕は溜息をつきました。
恐らく都会の電車じゃなければ、こんな無用な緊張感も生まれないんだろうなと、しみじみ感じていました。
こんな場面は、子育ての経験がある人間であれば、誰しも思い当たるはずです。
そうでない人は、自分が子供の頃を思い出してみれば良いのです。
けれども、もしこれが隣り合わせの出来事でなかったとしたら、おそらく僕も他の乗客のように傍観者でいたことでしょう。
無関心を装いながら、イライラオーラを放出していたかも知れません。

「所詮他人事、心配りは自己満足。」
「人に迷惑をかける方が悪い。」

そんな都会の掟が、僕の中にもしっかり芽生えていました。(成長も早い)
けれども、そんな無言の圧力が弱いものを追い詰め、その刃がさらに弱い者に向かう、そんな負の感情の連鎖を見たと言ったら大袈裟でしょうか。
僕は新米ママのお礼の言葉を反芻しながら、そんな自分の中の世間を反省していました。


"愛の反意語は憎悪ではなく、無関心"
そんな言葉をさっき思い出しました。
隅っこに追いやっていた感情のリハビリに、今日から少しずつ取りかかることにしましょう。


それにしても、やっぱiPhoneは偉いね!
(スマートフォンをお持ちの皆さん、非常時用にお子様アプリを入れておくことをお勧めしますデス。)

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【歌旅】に想う
中島みゆきさんの【歌旅】劇場版が公開されました。
驚く程大勢の方々がご覧になって下さったことに、まずは関係者の一人として深く御礼申し上げます。
この作品を手掛けさせて頂いてから、いつしか5年もの歳月が流れてしまいました。
こうした形で改めて世間にお披露目できる機会を得たことは、演出家冥利に尽きる出来事です。
音楽映像というジャンルは一種独特で、この世界に身を投じてみなければ分からない事だらけです。
前々回のブログではプロモーションビデオの世界について書いてみましたが、今回はライブビデオについて軽く触れてみることにしましょう。

皆さんは、TVの音楽番組を何気なく目になさっていらっしゃることでしょうが、この映画のようなライブ映像も古くから存在します。(ウッドストックとかLast Waltzが有名でしょうか?)
一見すると同じように見える両者ですが、実は微妙な違いがあるのです。
収録や制作時間に制限のあるTVプログラムは、とても効率的で優れたノウハウの固まりです。
わかり易く説明するために、架空の生放送の音楽番組をシュミレートしてみましょう。

担当ディレクターは、事前に受け取った出演者の楽曲を聴きながら、台本に書かれた歌詞をなぞります。
そして彼のイメージしたカメラワークを、台本上に書き込みます。
{Aメロで、正面カメラがゆっくりとアーティストに近づく}{Bメロでは、サイドカメラが横顔アップからバストショットまでズームバック}{Cメロになり、頭上を動くリモートカメラにバトンタッチ等々。}
手慣れたカメラマンであれな、余程のことでも起こらない限り、この指示書通りのカメラワークを忠実に再現してくれることでしょう。
事程左様に、照明や音声スタッフ出演者が一致団結して、ディレクターの作った台本に沿った動きを見せてくれるのです。
結果、視聴者は安心して生番組を見ることができるという寸法です。
全てが洗練されていて素晴らしいやり方です。
秒刻みに多彩な番組がプログラムされた放送局では、このような収録方法以外の選択肢は考えられません。

それではTVの音楽番組と、この映画で撮られたようなライブ映像の違いとはいったい何なのでしょう?
それは、上記のような"決め事の有り無し"です。
様々な制約のあるTV音楽番組の収録において、カメラマンが心がけなくてはならないのはシナリオに沿ったカメラワークです。
マルチカメラで撮る場合には特にこれが重要で、もし1台のカメラが勝手な行動を取ってしまうと、全体のバランスが一気に崩れてしまいます。
チームワークが要の現場では、時としてこれが致命傷にもなりかねません。
一方、ライブビデオの収録現場では比較的その縛りが少なく、カメラマンは自由に被写体と向き合うことができるのです。
(もちろんケースバイケースで、あくまでもその傾向があるという意味です。)
僕はTVの仕事が少ないので、基本的にはこの収録法を用いますが、そこで問われてくるのがカメラマンの感性です。

よく言われるように、ライブは生き物です。
インディーズカメラマン上がりの僕は、常に肌で音楽を感じて来ました。
下手くそなバンドの時にはお客さんはシラけ、上手いバンドには興奮をぶつけます。
アーティスト達も、観客のノリを目の当たりにして、傷ついたり高揚したりするのです。
それは会場の大小に依らず、基本的に変わらないものです。
つまり、コンサート映像とは単なるエンターテイメントにとどまらず、その日その場所のアーティストと観客の感情のやり取りが記録される、ドキュメンタリーそのものなのです。

TVの収録法に慣れ親しんだカメラマンと仕事をご一緒する場合に、稀にではありますが困ったことが起こります。
スタジオでの癖が抜けないのか、彼らの切り取る絵に落ち着きがないことが多いのです。
当然、良かれと思ってやってくれてはいるのでしょうが、(絵数を増やそうと)いつものノリでカメラを頻繁に動かしてしまうのです。
Aメロでワイドだったから、Bメロではもっと寄ったり、もしくは4小節ごとに素早くサイズを変えたりするのです。
無論、それはそれで都合の良い場合もあるのですが、判りやすいリズムで頻繁に構図の変わる映像は、見ているうちに次第に飽きてしまうものです。
一見すると、それが音楽に合っているようにも思えるのですが、こういう場合のカメラマンは大概曲を聴いていないものです。
よしんば曲を聴いていたとしても、詩の世界までは気が回っていないことが多いのです。
気持ちが入らず頭だけで撮るのと、曲を聴きながら感情移入して撮るのとでは、同じ映像でも似て非なるものになります。
前者の場合は実際に使える箇所が断片的になるのに対し、後者では長い時間見ていられる力のある映像になるのです。
”感情を伴った映像は、見る者に必ず伝わる。”
僕はそう強く信じています。

なんて説明はしたものの、正直一般の方々にはピンとは来ないでしょうし、僕自身長年経験を重ねたお陰でようやく分かるようになった感覚です。
けれども、実はこの違いは見る人が1番感じているのです。
皆さんは過去に音楽番組やライブ映像をご覧になった時に、
「もう少し長く見ていたかったのに、何でここでカットを切り替えるんだ。」とか、「どの曲も同じような編集だな。」なんて感じたことはありませんか?
もし、そういう感想を持たれたのだとしたら、その作品はノウハウで作られたものかも知れません。
つまり、このサイズの後にはこのサイズ、このアングルの次にはここからのアングルといった風に、形から入った作り方をしているのです。
これは、自戒を込めてお話しすることで、映像のベテランであればある程陥り易い落とし穴なのです。
このノウハウ優先の考え方が危険なのは、往々にして見る側の心情を軽んじてしまうところにあります。
つまり、これが経験上ベストだからという、多分に保守的な考え方が根本にあるからです。
カメラマンやディレクターがこの妄想に取り憑かれている限り、枠から飛び出す作品は期待出来ません。
感動とは、決してノウハウからは生まれないものです。
決まり事を排除した後に舞い降りて来るものだということを、僕は過去の多くの経験から学びました。
勿論、ノウハウを否定しているのではなく、その先を諦めてはいけないということです。

TVの音楽番組とパッケージとして発売される作品のもう一つの違いは、見られる回数にもあります。
あくまでも一過性のものとして作られるTVプログラムは、わかり易さにこだわります。
ボーカル中心の絵作りに、鳴っている楽器の映像がインサートされるのが基本です。
それに対し、販売される音楽作品では何回も繰り返し鑑賞されるのが前提です。
そのため、作り手は幾度も試行錯誤を重ねながら、作品の弱点を探し出す必要があるのです。
自分のその時の感覚を過信せず、幾度もトライアンドエラーを繰り返します。
たとえギターソロになったとしても、必ずしも小節の頭で絵を切り替える必要はありませんし、(乱暴に言ってしまえば)その時点で1番心引かれる絵にすれば良いのです。
そして最終的に迷いのなくなった編集点の積み重ねが、初めて人様に見せられる作品となるのだと、僕はそう考えて仕事をしています。
何れにしても、そのアーティストを好きなことを再確認させてくれたり、更なる魅力を感じさせてくれるのが、音楽映像に課せられた使命なのではないでしょうか。

すっかり前置きが長くなってしまいました。(いつもの悪い癖ですので、お許しを!)
【歌旅】ビデオ収録のため、東京国際フォーラムに顔を揃えてくれたのは、こちらもカメラマンに半生を捧げてきた、百戦錬磨の強者達でした。
皆、こちらの注文に的確に応えてくれる卓越したテクニックを持ち合わせているのは勿論ですが、個人的な感性でも自由に撮ることの出来る、真の意味でのプロフェッショナル揃いです。
長年の共同作業で得た、彼等に対する僕の信頼感は並大抵のものではないのですが、最終打ち合わせの場で
「余計なことは考えなくても、自然に撮らされるから!」
と、僕は一言だけ付け加えさせてもらいました。
コンサートが始まってすぐに、彼らも”撮らされる”の意味が分かったようで、緊張感がみなぎる中にも、それぞれが自由奔放なカメラワークを見せてくれたのです。
優れたミュージシャンが、手元を見ずに素晴らしい旋律を奏でるように、その道を極めた人間には感情の赴くままに、その人の道具を使った深い表現が可能なのでしょう。
ベテランの絵描きに広大なキャンバスを用意した後は、横からゴチャゴチャ言わず、ただ静かに見守ることがベストだということを、幸い僕は知っています。
中島みゆきという、この上ないアーティストを前に、彼等のモチベーションが何処まで高まるのか、僕はその様子を観客の一人として見守るだけでした。

2日間の収録の結果、僕のディレクター人生で最高の収録素材を得ることとなりました。
最高というのは、どこからでも、どれだけでも使えるという意味です。
極上の材料を手に入れた僕は、それから数ヶ月の間、心おきなく編集作業に没頭しました。
楽曲を聞きながら、そのメロディーや歌詞に最も相応しい映像を選び、幾度も吟味しながら組み上げてゆきます。
数カットつなぎ終える度に1曲目からのプレビューを繰り返し、その都度全体の流れを俯瞰から見直すことを心がけました。
この作品において僕が心がけたのは、あくまでも観客の目線でした。
けっして奇をてらった編集ではなく、アーティストと共に会場に居合わせような、そんな空気感を大切にしたかったのです。
コンサート会場にいらっしゃった観客の皆さんが味われたであろう凄まじい感動を、そうでない他の方々に余すことなく伝える能力は、残念ながら僕にはありません。
せめてものお役目があるとすれば、この歴史的なコンサートの模様を、いかに劣化を最小限に止めたまま後世に残せるかだけでした。

長時間の作業中に思いが至ったのは、アーティストとしての”中島みゆき”もさることながら、彼女の周りのミュージシャンや舞台スタッフ達の存在感でした。
表に出る人出ない人、ジャンルは異なれども、各々が自らに課した高い山を登り詰めた達人達です。
彼らがそのキャリアの全てを捧げ、一人のアーティストを支え、輝かせて、完成させたのが【歌旅】という、音楽ドキュメントなのだという思いが、日に日に増してゆきました。
『この方たちの足を引っ張ることだけは、何としても避けなければ。』
常にこの思いを脇に置き、僕はこの作品を仕上げました。

アーティストの器に比べ、誠に力足らずで心苦しさ満杯ではありますが、僕を含めた映像チームが、どのような思いで作品に携わったのかだけは、是非とも残しておこうと思った次第です。

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紙一重
少し前のことですが、今でも強く印象に残っている出来事です。

その日はあいにくの雨でした。
発車ベルに急き立てられ、慌てて終電間際の電車に滑り込んだ僕は、回転しながら奥の方まで押し込まれ、よれた巻き寿司のような状態になってしまいました。
普段はのんびり自転車通勤、事務所では独り気ままに時と空間を浪費している身体には、この過激な人口密度は結構辛いものがありました。
パンパンの車内は人いきれで息苦しいばかりか、途中駅で加わる乗客たちの更なる圧力と、それぞれが手にしている濡れた雨具の不快さで、皆さん我慢も限界のご様子でした。
半時間程の荒業の後、ようやく折り詰めから解放された僕は、雨上がりのホームで大きく深呼吸をしていました。
冷たい湿気をたっぷり含んだ夜気は、僕の衰えた生命力を瞬く間に蘇らせてくれるようでした。
たまの電車でこれですから、このような日常を送っておられる方々のご苦労は如何ほどかと、半ば感心しながら歩き出した僕の前方から、何やらいびつなやり取りが聞こえてくるではありませんか。

あらら、僕の視線の先およそ20メートルほどで、男性二人がいがみ合っている様子。
ひと気の無いホームに響き渡る怒鳴り声は、やみかけた雨でしっとりとした闇間にすぐに吸い込まれてしまいますが、まわりを静かな林に囲まれた小さな駅では相当場違いな光景には違いありません。
周りを見渡しても、利用者の姿はとっくに視界から消え去り、淋しいホームには僕ら3人だけが取り残された格好です。
この駅に改札口は1カ所しかないので、このままだと僕は彼らのすぐ側を通らなければなりません。
そこに綺麗なご婦人でも佇んでいるのなら、勇み足で近づいていくのですが、この状況はちょっと考えものです。
急に歩幅が狭くなるのを意識しつつ、気配を殺しながら歩くワタクシの姿がありました。

もめているのは30代中盤のサラリーマン風と、20歳前後の学生風の2人の男性でした。
案の定、車内で傘が触れたの触れないのでトラブルになっているようです。
体格的に差のある学生さんは、どうやら劣勢に立たされているようで、大柄なサラリーマン氏に胸ぐらを掴まれたまま大きく揺すぶられています。
その圧倒的な構図を目の当たりにした僕の中に、判官びいきの心がぴくっと頭をもたげてきたところでした。

睨みをきかせたサラリーマン氏が立ち去ろうと踵を返した瞬間、学生さんの手にした傘が男の背中に激しく打ちつけられたのです。
まるで”窮鼠猫を噛む”の再現ドラマです。
「オイ、オイ、それはダメっしょ!」
僕が思うまでもなく、鬼の形相のサラリーマン氏が振り返ります。
あわわ、これは相当まずい展開です。
当方との距離およそ5メートル。
「もうちょっと後にして欲しかったな〜」
あわよくば、何事も目に入らぬふりをしたかった通りすがりの者には、これは最悪のタイミングでした。
考えをまとめる暇もないまま、彼らの間に割って入ることになってしまった僕は、とっさに学生の背中に手のひらをあて

『何もいい事ないよ!』

と、自分でも驚く程冷静に声をかけていました。
そのとき初めて見た若者の顔は、もうほとんど泣き出しそうで、その充血した瞳には言葉にならない感情を訴えるような、こちらに向かって助けを乞うような、そんな悲しげな光が灯っていました。
僕はそんな彼の目を見つめながら

『もう気が済んだでしょう。』

となだめつつ、その勢いでもう一方の男性の腰にも手をまわし

『あなたも十分やったでしょう。落ち着きなさいよ。』

と、彼をその場から引き離したのでした。
興奮したサラリーマン氏は何やら呟いていましたが、すぐに冷静さを取り戻したようでした。
降って湧いた予想外の展開に内心ドキドキの僕でしたが、素直に従ってくれた2人の反応にホッとしながらも、これが僕自身の身に降りかかっていたらと考えると、背筋が凍る思いでした。
腕に覚えの無い僕にとって、これは大きな賭けでした。
もし、どちらかに逆切れされていたとしたら、それ以上の事は何も考えられませんでした。
見たところ、お二方はごく普通の大人しそうな人達でしたが、僕も体験した電車内の劣悪な環境は、どんな善良な市民でも豹変させてしまうような、こんな危険をはらんでいるのです。

閉塞感たっぷりのこの時代、僕を含め世間の大多数の皆さんがギリギリの状態で生きているのは間違いありません。
巷で見聞きする凄惨な事件も、始まりはほんの些細なことなのでしょう。
そして、信じられないような凶悪犯罪を犯してしまう人間も、恐らくあの学生さんのような目をしていたように思えてなりません。
皆、自分のキャパの淵のところで踏ん張っていることを、ついつい忘れがちなんですよね。
そんなことを、ぼんやり考えながら歩く僕の後ろから

『ありがとうございました!』

大きな声が追いかけてきました。
驚いて振り返ると、そこには深々と頭を下げる若者の姿がありました。



ちょっとだけ泣きそうになりました。





ーーーーー





ひょんなことで御縁を頂いた方々が、こんな僕の文章に時間を割いて下さっていることに、大いに驚いております。
相変わらずのマイペースで、皆様をいらだたせていることは承知の上ですが、『あいつも、まだ生きてるんだな。』くらいに意識してもらえれば本望です。

どうもありがとうございます。








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心境の変化
この音楽映像業界のディレクター達は、まさに十人十色の経歴を持っていて、僕の知る限りにおいてもCM畑やデザイナー出身、あるいは映画カメラマンの助手だったりします。
僕はといえば元々アングラ写真家なので、それぞれの作風が違って当たり前、まさに百花繚乱のにぎやかな世界なのです。

P.V(プロモーションビデオ)というジャンルがCM(コマーシャル)や映画とは根本的に異なる理由は、その生い立ちにあります。
シングルレコードの販売促進のために作られたP.Vは、当初レコードショップ等の客寄せに使われ、折からのMTVブームにより世界中の若者を中心に支持が広がり、現在のような市民権を得るに至ったのです。
販促映像の代表格であるCMと似て非なる点は、その長さにあります。
CMが極端に短い長さ(主に15秒)に情報を凝縮するのに対し、P.Vは平均して5~6分ある楽曲の長さに合わせて作られます。
その内容は娯楽性を帯びたものがほとんどですが、作品の多くがアーティストや楽曲を引き立たせるためにあるところが、エンターテイメントの王者である映画とも大きく異なる部分です。
映画が小説だとすると、CMは俳句、P.Vは詩のようなものでしょうか。
僕のいるP.Vの世界は、CMや映画並の予算も時間も与えられない(もちろん例外あり)、ある意味中途半端な存在とも言えましょう。
しかしながら、考えようによってはこれほど面白い世界もありません。
そこにはスーツを着たお偉方の姿もなければ、子細に書き込まれた企画書もありません。(少なくとも僕の現場においては)
問われるのはディレクターの想像力のみです。
楽曲を聴いた時に感じた何かを表現しようと、僕を含めたディレクター諸氏は楽しく七転八倒するのです。

僕の過去のP.V作品は、大抵イメージ映像が主役でした。
このブログの始めの頃に書いたように、僕はヘンテコなご縁でこの世界に紛れ込みました。
アングラロックの強烈な洗礼で受けたトラウマは、今なお僕のひねくれた美感に影響を及ぼしています。
与えられた音楽作品に、誰も思いつかないような発想で新たな命を吹き込みたい。
そんな理想を追ってきた僕には、勢いイメージ先行の癖がついていたようです。
イメージ映像とは、一体何なのでしょう?
たとえば遠い記憶のようなもの、もしくは夢を見ている時の絵に近いのかも知れません。
もし、音楽に添える映像がただ歌詞をなぞっただけのものであったとしたら、それは単なるカラオケ映像になってしまいます。
”夢か現か幻か”これが僕の最も理想とする映像作りでした。

昨年の後半、とても難しい仕事の依頼を受けました。
それは、ここ何年も御一緒させて頂いている女性アーティストの新曲P.Vでした。
この曲は、そうそうたるメンバーでキャスティングされた、ある民放TVドラマのエンディングソングでもありました。
吟味され尽くしたその言葉一つ一つには、弱いものを思いやる温かな血が通っていて、しかも力強さに満ち溢れています。
この曲を最初に聴きながら、僕は1人の友人の言葉を思い出していました。
彼は最近病気のお父上を亡くされ、その追悼ビデオを作っているところでした。
そんな彼が、あるとき僕にこう話してくれたのです。

『翁長さん、家族の幸せのピークって意外と短いもんなんですよ。』

以来、その言葉が僕の頭から離れることはありませんでした。
壮大なタイアップ態勢をとられているこの曲を聴く時、おそらく大多数のリスナーはTVドラマのシーンを思い浮かべることでしょう。
しかし、そんな大きな世界とはかけ離れた、足元のささやかな幸せについて語れないものかと考えた僕は、慣れない場面設定に難儀しながらも1本の話をこさえてみました。
それまでの空想型の人間が一転、多少なりともリアリティのある表現をしてみたくなったのです。

幸いなことに、アーティストご本人に快諾してもらえたシナリオは、前作までとは違ったテイストのものになりました。

僕の撮影現場では、細かな演技指導はほとんど行いません。
撮りたい状況を字コンテや口頭で説明した後は、すべて役者さんにお任せします。
頼る術は自分の正直な感情のみで、物語が自然に見えればそれで十分なのです。
伝わってくるものが僕の求めている水準に達していればOKですし、そうでない場合はこちらの伝え方を修正するのです。
いくら綺麗な絵であっても、見ていて不自然さを感じてしまえば、それが僕自身の感情移入の妨げになってしまうからです。
要するに、僕はファインダー越しに彼らの芝居を鑑賞するだけでした。
今回、そんな素人監督に大きな力を貸してくれたのが、才能あふれる役者の皆さんでした。
僕の大雑把なシナリオに、彼らはきめ細やかな表現で応えてくれました。
以前(影の主役達)でも書いたことですが、さすが餅は餅屋です。
それぞれの深い解釈で見せてくれた世界は、僕の貧弱な想像をヒョイと飛び越え、骨格だけの体に血肉をつけ、心を入れてくれたのです。
仮編集を見たアーティストは

『骨太ですねー!』

とご満悦の様子で、1発OKを出してくれました。

『芝居って面白いな。』

井の中の蛙が外の世界を教えてもらった、とても大きな出来事でした。



興味を持たれた方は、1度ご覧ください。
(http://www.youtube.com/watch?v=ia1HWtcQLwQ&ob=av2e)








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心の岩盤浴
前回登場したMASAKIさんのコンサートに行って来ました。
気持ちの萎縮してしまいそうな冷たい雨の中、すでに大勢の方々が集まっておられました。
老若男女のお客さんで満員のホールでしたが、皆さんの喜々としたご様子の訳は、主催者が振る舞っていたワインにもあったようです。
とても珍しい赤のスパークリングワインの美味しさは格別で、そこをパーティー会場のように思わせてくれた主催者の思惑に、僕もまんまとハマってしまったようです。

やがてピアノとチェロの奏者と共に現れたMASAKIさんは、いつもと変わらぬ笑みを浮かべ、静かに演奏会をスタートさせました。
リラックスした観客席に波長を合わせるかのような彼の演奏は、決してテクニックをひけらかすものではありません。
観客席を見渡しながら、たおやかに時に激しく弦を操ります。
曲の合間には、作品のタイトルやその込められた思いを、少々言葉足らずの日本語で語りかけてくれます。
僕はクラシックコンサートでは大概眠くなるのですが、ここでは不思議にそうはなりません。
あっという間に前半が終了してしまい、自分の顔に異常を感じた僕は、そこではっと我に返りました。
1時間近くずっと微笑んでいたのでしょう、表情筋が疲れていたのです。

普段一人きりの時間が多い僕は、悲しくも無表情生活者です。
ちりも積もれば何とやらで、いつのまにか小難しい男に見られるようになってしまいました。
周りを見渡すと、ワイングラスを片手に楽しそうに会話を交わす人々でごった返しています。
(恐らく)いつもは僕と同様であろう紳士方の和やかな笑顔は、ここが熱海あたりの宴会場じゃないかと錯覚させるほどでした。

後半が始まり、新たなアレンジをまとった馴染みの曲達は、僕の顔を更に弛緩してくれるのでした。
MASAKIさんの真正面に陣取っておられるご婦人方の、余にも楽しげなご様子に圧倒された僕は、それをどこかで見たような気がしてなりませんでした。
そう、ペ・ヨンジュン氏のイベントで目にした光景が、そこに再現されていたのです。
しかも、あの場では見ることの出来なかった、紳士方のご満悦のお姿まで添えて。

長年音楽の仕事に浸かりながら、こんな絵に描いたような幸せな現場には、なかなか立ち会う事は叶いませんでした。
プロなんだから上手いのは当たり前、その向こうに何を見せてくれるのかが重要なのです。
メロディーを奏でるアーティストの想いが伝わらなければ、それはただの見せ物でしかありません。
凝り固まった人々の表情と心(元は一緒)を優しく解きほぐしてくれる、そんなアーティストを僕も待ち望んでいました。

オリジナルの表情にすっかり慣れた僕は、贅沢な時間を賞味しながら、こう思っていました。

『みんなで温泉に浸かってるみたいだ。』

芸術は人を感動させる為にある。そう確信した夜でありました。

















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もう一つの再会+
編集作業中の僕は、二重人格者になります。
二つの相反する感性が喧嘩をしながら、少しづつ映像を編み込んでいきます。
例えば、素材の中から心動かされる何かを見つけたとしましょう。
光の僕が 「いいね〜、感動的だわ!」と唸ります。
すると、 「それイマイチかもよ?」 と、冷笑する闇の僕のお出ましです。
それを無視した光の僕は、黙々と作業を続けます。
ある程度進んだところで、光が弱くなってきます。
心細くなり、闇に小声で相談するのです。
「どうよ、これ?」
「・・・」 ノーリアクションの闇
実際に一人でブツブツ言ってたら本当に危ない人ですが、このような自問自答の繰り返しが編集作業というものなのです。

さてもこのように難儀な商売ではありますが、この底意地の悪い相手をギャフンと言わせた後の快感はまた格別で、選りすぐりの素材たちは僕の中で腰の座った作品に昇華しているのです。
その後、最も厳しい世間様のお白州でのお裁きが待ち構えているわけですが、こちらの手を離れてしまえば、もはやジタバタすることはありません。(開き直りとも呼ばれる。)
そろそろ本題に入りましょう。

2曲めのテーマはペ・ヨンジュン氏と家族の関係を表現することと相成りました。
本編のコラージュ部分では、彼のこのイベントに込めたメッセージを表現することに主軸を置いていたのに対し、この特典映像では彼と家族の皆さんとの情愛をキッチリ描いておくべきだと僕は考えたのです。

過去に幾度か書いたりお話したことですが、今回のプロジェクトから僕が学んだ最大級の収穫は「瞳はけっして歳を取らないものだ。」という結論でした。
仮に一過性の思い込みによって僕がそのように口走ってしまったのであれば、(口説き文句としては上等でしょうが)いざそれが作品となって一人歩きを始めた途端、世間様から強烈なバッシングを食らうのは当然予想されることであります。
ある人物に心酔した人間の表情には、年齢を超越した美しさがあると、堂々と言い放った僕ではありましたが、時を経て冷静になった今、果たして同じように素直にそう思えるのか、僕の横ではもう一人の僕がニコニコ顔で待ち構えているのでありました。

深呼吸の後、背筋を伸ばし、約半年ぶりに素材のプレビューを開始した僕は、まんじりともせず観客の表情を見つめ続けました。
しばらくして軽い溜息をつき、こう独り言を呟いたのでした。 「やっぱイケるじゃん!」 そう、やはり僕の勘違い(失礼)ではありませんでした。
観客席の皆さんは、僕の記憶通りとびきりの笑顔で写っておられました。
そりゃあ全員が女優並みとはいきませんけれど、(何だか自分がきみまろ氏に思えてきました。)それぞれの方々の最高の表情を見せてくれていたのです。
その輝くような表情は、本当に年代を越えた美しい景色でした。
特に、会場中の全員でポジャギを振る場面は圧巻で、その様は野に咲く黄色い花畑のようでした。
その大きな愛情を一身に受けるぺ・ヨンジュン氏も、透き通るような静かな笑顔で佇んでおられるのが印象的でした。

(またもや怒られてしまいそうですが)ヨンジュン氏にとって、もしかしてこのような光景はもはや見慣れたものなのかもしれません。
彼の行く先々(もちろん日本以外でも)で大歓迎を受けるのは予想に難くありませんし、それが彼の日常であるならば、(万が一)その感覚が徐々に麻痺していったとしても、それを責める権利は誰にもないのです。
自省を込めて申すならば、僕ら映像屋は往々にして観客数をマス映像として捉えがちです。 どれだけ大勢のの人間がそこに集まったのか、どれほど盛り上がったのかを強調するが為に、大勢の観客を単なる形としかみなさず、個人個人の思い入れをくみ取る作業がついおろそかになりがちなのは、過去の自分を思い出すまでもありません。

まあ、彼のような人物ですから、そのような心配は無用だとは思いますが、そうであってもなくても、彼にはこの映像を見てあるものを感じてもらいたいと、僕は切に願うのです。
それは、きっとお年を召した家族の皆様に見えているものがそうであるように、年月を重ねたからこそ見えてくる掛け替えのない何かがそこにあると、僕は確信するからです。

スターの誰もがそうであるように、彼にもいつの日か落ち着いた日々が訪れることでしょう。
その時に改めて自身に寄せられた愛情の大きさ深さを再認識し、己れの人生の素晴らしさに心温めてもらいたいと願わずにはいられません。(余計なお世話でしょうが、これは僕の偽らざる心境です。)
あの日あの場所に集った方々の情念は、単なる人気者を讃える一過性の盛り上がりでなかったこと、それが通りすがりの者にも伝わるような強い念であったことを、彼には是非とも記憶しておいて欲しいと、そんな気持ちを込めて僕はこの映像をこしらえたのです。

この映像に相応しい音のポジャギとして僕が選んだのは、MASAKIさんの"Banksia"という曲でした。
優しく穏やかに包み込むような旋律は、幾度繰り返しても聴き飽きることがなく、僕にはどうしても、ぺ・ヨンジュン氏を見守る家族の皆さんの存在と重なって思えてくるのでしたが、念のために曲の解説を読んでみると、
「バンクシアは、花としての自分の美しさより、必死で生き残り、自分の命を削りながら他のものに命を与えている。そう思ってみると、この滑稽でみんなが相手にしないような花が本当に美しく、優しい花に見えました。」
そう書かれてあったのです。

またしても幸運な出会いにより、この作品も新たな命を得ることになりました。
単なる特典映像ではない、別の解釈の作品という意味で、僕は"ももいろの潮風"と"Banksia"この2つの括りを"もう一つの再会"と名付けました。

そして僕に残された最後の大仕事、それはエンドロールでした。
ここは、ほとんど方々があまり重要視しておられないパートだと思います。
特に映像も付かず、ただ関係者の名前が延々と流れるだけですから、退屈に思われて当然の日陰者の部分ではあります。
ところが、ここはその作品に携わった多くのスタッフの情熱の結晶の場でもあるのです。
主役、準主役から脇役、そして裏方へと、様々な職種の人達がそこには登場します。
ここに名前の出るような方々は、各々の道を極めた人達であり、1本の作品とは彼等のたゆまぬ努力の成果でもあるのです。
ここをおろそかにすることは、その作品をないがしろにする行為に他ならないと僕は考えます。
映画を見る場合でも個人的にとても好きな部分で、感動的な作品に出会えた時は大概、エンドロールを見ながら涙を流してしまいます。
それは、それだけ多くの人たちの思いでその作品が出来上がっていること、その人達の生き様がそこに結集していることに圧倒的な感動を覚えるからです。

僕はこの聖地のような場所に相応しいBGMを、最初から決めていました。
その曲は穏やかで優しく、シンプルでかつダイナミックな、まさにこの映画にうってつけの作品でした。
そしてそれは、この映画の主人公の生き方や夢を、そして家族の方々を含め、彼を取り巻く多くの人々の愛情をも反映しているように思われたからです。
案の定、ここはどんな大作映画にも引けを取らない、重厚なエンディングになりました。 無機質な文字の流れが、彼等の人生模様のように僕には思えてきました。

そしてこの曲のタイトルは"大切な人"
もう僕に付け加える言葉は残っていません。
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もう一つの再会
さて、ひとりのアーティストのお力を拝借することで、ようやく長いトンネルを抜け出せた僕でしたが、とっておきの3曲の中でも"ももいろの潮風"には特に強く惹かれていました。
この曲を初めて聴いた時、僕は確かに青春時代の懐かしい感覚に引き戻されたのでした。
そのタイトル通り、甘酸っぱく切ない感情で満たされたこの曲の使い所はと言うと、それは当然あの美しい場面しか僕には思い浮かびませんでした。
そう、冬ソナの2人の再会する名場面は、ドラマを見ていなかった僕のような無粋な男にさえ、大きな感動を与えてくれたのでした。
あの日の会場での熱気は凄まじいものがありましたが、改めて素材を見直してみても、あの日受けた衝撃は少しも色褪せずにそこに残っていたのです。
そしてこの曲を聴いた時の感覚と、二人の再会シーンを目にした時の僕の気持ちは、ピタリと重なったのでした。

いつの世も、人は恋愛ものが大好きですよね。
巷は今も、相も変わらぬラブソング、ラブロマンスで溢れかえっています。
使い古された愛の言葉や、結末が最初から見えているような平凡なストーリーでも、人はついつい心動かされてしまうものです。
一体何故なんでしょう?
僕はこう思うのです。
それは、人にとってその感情が1番大切だから。

誰しも1つや2つは(あまり多いのも考えものですが、、)他人に言えないとっておきのラブストーリーがおありなのではないでしょうか。
相手が現在のパートナー(無論それに越したことはありませんけれど)であってもそうでは無くても、自分たちが主人公の至極のワンシーンがきっとあるはずです。
思い出したくもないような修羅場は、この際心の奥底にしまっておきましょう。
そこでの貴方や貴方の愛する人は、幾ら年月が経とうとも決して老いることはありません。
いつ何処にいても、その瞬間にタイムスリップして胸を焦がすことのできるような、そんな永遠に朽ちることのない記憶が蘇るとき、人はとびきり純で綺麗な心持ちでいられるような気がします。
そんな時の貴方は、きっと身も心も穏やかで美しく輝いていることでしょう。
きっとその状態を潜在意識が欲しているからこそ、人は幾つになっても恋愛を懐かしがるのではないでしょうか。
これは素晴らしい本能です。
その気持ちを絶えず抱いていられるなら、これほど幸せなことはありません。
その対象が誰であっても、自分自身の心に従順でいられるのが1番なのですから。

すっかり前置きが長くなってしまいましたが、今回僕が真っ先に思いついたのはこのことだったのです。
冬ソナの主人公2人が雪の中で再会する場面は、僕を含めたあの場所にいた全員にとっての、究極の景色だったのです。
大多数の人々が、彼らの再会を祝福していたのだと思います。
それはドラマの世界を共有していた人間の特権でしょう。
しかし、僕のような傍観者までもが心打たれたのはどうしてなのでしょうか?
きっとその光景が、誰もの心の深い所にある感動の元栓を大きく開いてくれたからこそ、僕はそう理解しています。
あの日集まった数万人の気持ちがひとつになり、言葉に置き換えられないような大きな感情が動いたのは、単なるイベントの盛り上がりとは次元の異なるものだったのです。
僕は舞台上の2人を見ているつもりが、実は深いところで自分自身を見守っていた気がしてなりません。
無論、南国育ちの僕にあのようなロマンチックな経験があるはずもないのですが、理屈抜きに切なく懐かしい気持ちになったのは確かです。
主人公のお2人にしても、(お叱りを覚悟で申し上げるならば)当然山ほどある彼らのお仕事の一つであり、抱き合うシーンも入念にリハーサルを行っていることでしょう。
それでも、あの時あの瞬間の二人の間に演技らしきものは見られませんでした。
プロだから当然という冷めた声が聞こえてきそうですが、一流の役者というものはその役に心底成りきれるものです。
すなわち、あそこにいたのは観客席の前で演技する俳優同士ではなく、純粋に再会を喜び合う恋人同士だったのです。
キャリアを積み重ねたスターではなく、単なる男と女だったからこそ、あのような美しい佇まいで皆を魅了したのだと、僕はそう信じます。
彼の姿を確かめた時の彼女の、そのはにかむような美しい笑顔、凛としつつも喜びを抑えきれない彼の表情は、スターの衣を剥ぎ取った素の男女の有様に思えたのです。
まあ、文章にしてしまうとこのように長ったらしくなってしまいますが、家族の皆さんがあれ程の歓声で彼らを包み込んだのは、そういう理由があったのではないでしょうか。
人は瞬間にこのような感情を得てしまう、素敵な生き物だということです。

けれども、当日の再会シーンは余りに短か過ぎたのも事実です。
当然時間に制約のあるイベントの出し物ですから、それは仕方のない事。
ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウがダラダラと近づき、いつまでもステージ上で抱き合っているわけにもいきません。
冬ソナのテーマソングに合わせた舞台演出は誠お見事で、だからこその感動とも言えましょう。
しかしながら、そもそも恋人同士の再会なぞは、衆人環視の元で行われるものではありません。
どちらかといえば、というよりも絶対に人目を避けてひっそりと遂行されるべき種類の行為なのです。
そこで僕は今回の機会を利用して、(無謀にも)この密会シーンの再構築にチャレンジしてみたのでした。
もっとひっそりと再会し、心ゆくまで抱き合う恋人同士という光景を演出してみたのです。
無論、映像にスローモーションをかけるなどといった姑息な手段は使いたくありません。
あくまでもノーマルな映像をコラージュし、自然に見せることが絶対条件でした。
仕上がりは見てのお楽しみですが、そこで大いなる力を発揮してくれたのが、MASAKI氏の"ももいろの潮風"だったという訳です。
完成した再会シーンは、以前にも増して僕の感情を揺さぶってくれました。
エンターテイメントでない、本来の姿に少しは近づけたのではないかと、我ながらとても気に入った場面になりました。
そして曲の後半部分には、主人公お2人のスペシャル映像を散りばめることで、イベント初日のダイジェストとして心地よくまとめることが出来たのです。

またもや、軽く流せない悪い癖が出てしまいました。
残りの2曲に付きましては、最終回で何とかまとめる予定です。お許しを!

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幸せな出会い
無理難題は付きもののこのお仕事、しかし今回の悩みの本質は、実はとても深いところにありました。
それは、僕が直接家族の皆様のメッセージを頂戴したり、はたまた至近距離でお顔を拝見していた経緯も大きく影響していたのでしょう。
このブログやトークイベントにおいて、その場しのぎの綺麗ごとを並べたてたつもりはなかったのですが、発売を心待ちにしている方々に、僕がここで安直な映像をお見せしてしまったとしたら、取り返しのつかない大失態となってしまいます。
せっかくの機会、皆様の御期待を良い意味で裏切りたいという僕の思いとは裏腹に、事態は一向に進展しないままでした。

ところが、そんな僕の前に忽然と一人の救世主が現れたのです。
それは"MASAKI"という名のバイオリニストでした。
実はDVDの発売にあたり、イベント2日目のBGMをリニューアルすることになり、そのための楽曲を提供してくれたのが彼なのです。
イベント本番のBGMはとても素晴らしいものだったのですが、複数の作家の作品を用いていた為、多少統一感に欠けていたのです。
その選曲も任された僕は、彼の4枚のCDを朝から晩まで事務所で流し続けました。
普段余りクラシックは聞かない僕ですが、彼の音楽は最初からとても馴染み易く、どちらかと言えばイージーリスニングに近い印象を持ちました。
しかし、単に耳ざわりが心地良いだけでなく、初めて聴くのに何処か懐かしさと不思議な安らぎを覚える、粒ぞろいの素晴らしい作品ばかりだったのです。
それらの楽曲のイメージは、いみじくも今回の映像の意図にピタリとはまり、あたかもこの映画の音楽監督として"MASAKI"さんが存在していたかのようでした。

単なる偶然にしては出来過ぎの感がありましたが、僕にとってこれ以上の幸運はありません。
さっそく手当たり次第に気になる曲を抜き出し、映像の必要箇所に当ててみたのです。
そこでまず不思議なことが起こりました。
彼の曲達には、"ももいろの潮風"や"父さんがくれたビー玉"など、それぞれユニークなタイトルが付けられているのですが、それが本作の世界観に驚くほど合致していたのです。
例えば、ぺ・ヨンジュン氏が自作の詩を朗読する場面で使用した曲のタイトルが"infinity"とくれば、映画をご覧になった方でしたら良くお分かりになることでしょう。
しかも、示し合わせたかのように曲と映像の長さまでドンピシャと一致してしまうのですから、もはや僕は苦笑いするしかありませんでした。

"MASAKI"さんは、幼い頃から一家でオーストラリアに渡り、音楽家のお父上の英才教育で育ったそうです。
そのため難しい日本語は余りお得意ではないようですが、かえってその素朴な会話が彼の飾らない人柄を引き立てているようです。
僕は幾度かお会いしましたが、とても気さくな好青年で、すぐに打ち解けることができました。

長年この仕事に携わっているうちに、良質の音楽はテレパシーに近いのではないかと、僕は次第に考えるようになりました。
その作品が産み落とされた瞬間の作家の感情が、歪まずに受け手に伝わったとき、そしてその喜びや悲しみを共有できたとき、そこに感動が生まれます。(これは全ての創作物の共通項ですよね。)
ひとつの創作物を前にして、その人の心の共鳴板が作者と同じ周波数で震え始めたとき、その証として涙がこぼれます。
そんな作品の源泉には、限りなくピュアな感動がなくてはなりません。
その感動が骨太であればあるほど、その作品は多くの人々の感情を揺れ動かします。
残念ながら、ただヒットすることのみを目的とした作品には、そこが決定的に欠けていることが多いのです。
巧みなプロモーションやタイアップでビジネス的に成功したとしても、そんな使い捨てのような物は人の心の深みに残るはずもありません。
(そんなこと、はなから望んでいないのかも知れませんが、)
要するに、作者の感情がどれだけ劣化しないで他人の心まで響くのか、そのことのみがその作品を評価する尺度だと思うのです。

その観点からすると、"MASAKI"さんの音楽はテレパシーと呼ぶに相応しいものでした。
しかも、それが小難しくひねってある世界ではなく、何処にでもあるような日常を、さり気なく切り取っているところが、僕はいたく気に入ってしまったのです。
感動とは決して大袈裟なものではなく、うっかり見過ごしてしまいそうな何気ない日常風景の物陰にも潜んでいるものです。
彼の創作物から、作者の純粋で深い洞察力を僕は感じ取れたのでした。
ほとんどのBGMの選択を終えた後、僕は選りすぐりの3曲を繰り返し聴きながら、1人ほくそ笑んでいました。
何故なら、この曲達には特別な任務が与えられたからです。
これらを最初に耳にした時から、僕の中で新たな創作意欲が沸々と湧いて来ていました。
それまで思い悩んでいたことが嘘のように思える、あるアイデアが閃いたからでした。

(つづく)

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無題
僕は余り過去の作品を振り返らないタチです。
完成させるまではトコトン粘りますが、納品を終えた後は殆どそれを見直すことがありません。
長らくこの仕事を続けてきたせいか、僕にはアラ探しをしながら映像鑑賞する癖がついてしまったようです。
このカットは良いとか、あのカットはイマイチだとか、カメラワークの良し悪しや編集を耐えず気にしながら、巷の作品を見ている自分がいます。
自分のことは高い棚の上に上げっぱなしで、どうしても人様の演出が気になってしまうのです。
そんな哀しい身上ですので、今更自分の作品を見直したりした日には、恥ずかしくて立ち直れなくなってしまうのは目に見えています。
世間からとやかく言われないよう、出来る限りの手間をかけた後は、自分の中でのほとぼりが冷めるまで、すっかり忘れるようにしている小心者なのです。

さて、そんな横着者が2年後越しで携わっている作品があります。
このブログをご覧になっている皆様には御馴染み、ぺ・ヨンジュン氏の3D映像です。
本作と僕の関わり合いにつきましては、過去に何度かブログで取り上げてきましたので、ここではあえて触れませんが、この作品がこのたび晴れて一般発売される運びとなりました。
それ自体はとても素晴らしいことで、ひとえに家族の皆様の熱烈な御支持と、関係者各位の御尽力の賜物だと思っております。

さてさて、おめでたいお知らせの中、少々困ったことが起きてしまいました。
それはクライアントからの達ってのリクエストで、是非とも僕に特典映像を作ってもらいたいとのこと。
そりゃそうでしょう。
僕がお客様さんの立場だったら、今時特典の付いていないDVDなんて、おもちゃ無しのハッピーセットのようなものです。

さてさてさて、でもどうする?
こりゃ困りました。
何故なら素材が無いのです。
無いと言ったら語弊がありますが、もうすでに本編で美味しいところは出し尽くしています。
しかも、すでに10分の映像付きというプランは既に固まっている様子。

『ち、ちょっと、考えさせてください。』

即答はさけたものの、内心弱り果ててしまった僕でした。
特典映像といえば、未公開映像が当たり前のご時世。
ところが本作の場合、素材は2日間の収録素材のみ。
さらに、本編の最後に渾身の映像コラージュを披露していた関係上、もうどこも探しても新しい素材を見つけるあてがなかった、というのが正直なところでした。
例えてみれば、だしを取った後の煮干しを使って、旨い料理をもう一皿こしらえるようなもんです。
口の肥えた御馴染みさん相手にですよ。
さらにさらに、監督トークショーと称した身の丈に合わないイベントを強行していた手前、ここで適当にお茶を濁すというわけにはいかないのです。
あの時の場内の皆様方の澄んだ瞳を思い出した日にゃーあなた。

『う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん』


天罰か 悩めるオヤジに 秋深し




(つづく)




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生かされている実感
タイトルのような言葉を客観的に眺めてみると、どこか啓発セミナー的な香りが漂ってきますが、いえいえ決してそのような大仰なものではなく、僕のささやかな実体験の話であります。
いつの頃だったか正確な時は忘れてしまいましたが、ある撮影でスタッフ共々竹富島を訪れたことがありました。
僕は沖縄県出身なので、もちろん見知った場所ではありましたが、そこは普段およそ遊びに行こうとは思わないような辺境の地でした。
リゾート一辺倒の本島とは異なり、ここは数件の民宿が軒を連ねる以外に信号機一つ見られない、ほとんどがお年寄り所帯の静かな島です。(多分今でもほとんど変わっていないことでしょう)
夕暮れどきになると、あちこちの軒先からおじいちゃんの奏でる三線の調べが聴こえてくる、まるで絵に描いた桃源郷のようなところでした。 
素朴な島の人々の人情は、都会暮らしで疲弊してしまった我々の心を、優しく揉みほぐしてくれました。
とはいえ、僕らスタッフが数日もしないうちに退屈になってきたのは、その若さゆえの悲しさでしょうか。

小さな島にはいわゆる娯楽施設等は皆無で、普段の不摂生のため容易に寝付けない我々は、その晩やむなく真夜中のビーチに足を運んだのです。
夜目にも白い砂浜には、ときおり打ち寄せる波の音だけが、昼間以上に快活に又心地良く響いていました。
缶ビール片手に浜辺に寝そべるなり、僕らは頭上に広がる絶景に忽ち魅せられてしまいました。
雲のように幾重にも連なる銀河の群れは、まさに星雲と呼ぶに相応しいものでした。
天球をぼんやり眺めている我々の視界には、数十秒に一回は流れ星が入り込んでくるのです。
そこでは、いちいち願い事を唱えていられない程のスペクタクルショーが、延々と繰り広げられていました。
皆一様に押し黙り、どのような芸術からも得られないであろう、圧倒的な感動に浸っていました。
僕は(幸せなことに)仕事柄、過去に幾度かこのような光景を目撃したことがあるのですが、ここでは一つだけ決定的に違っていたことがありました。
それは、そのスケール感です。
その夜の入り江はほとんど無風状態で、まるで鏡のような海面に映し出される天上界は、水平線との境界を完全に忘れているようでした。
真上から真下まで視野の全てが星空のような超常的な環境に、僕らはまるで宇宙空間に連れていかれたかのような、神秘的な錯覚を覚えるのでした。

いつのまにか都会慣れしていた僕は、星達のことを単なる夜空のアクセサリーのように考えていたようです。
けれどもこうして大銀河に囲まれていると、この地球が無限の宇宙のちっぽけな1個の天体に過ぎないことが、ごく自然に実感させられたのです。
しばらくすると、スタッフの誰かが『泳ぐぞ〜!』と言い出すなり、裸になって銀河の海へ飛び込みました。
それが引き金となり、全員が静かな海に駆け出す姿は、まるで小学生の群れのような無邪気な景色でした。
しばらく泳いだ後、僕は仰向けで水面に浮かび、そのまま動かずにいました。
ときおり聞こえてくる仲間のはしゃぎ声が次第に遠くなり、やがて自分の心臓の鼓動が大きく意識されるに従い、僕はある不思議な現象に気づいたのです。

浮き輪なしに漂っていた僕の身体は、呼吸をするたびに浮き沈みを繰り返していたのですが、息を吐き体全体が沈みかけ、ギリギリ海水が鼻の穴に入りそうになると、自然と次の息を吸いたくなるのです。
息を吸った後は、浮力の増した身体が再び海面から浮かび上がるという具合でした。
つまり、溺れる寸前自らの呼吸によって命が救われるという構図なのです。
ただ、呼吸を意識し過ぎてしまうとそのタイミングが微妙にずれてしまい、時々塩水を飲んでしまったりもするので、心安らかにその摂理を受け入れることがポイントでした。
最初は恐る恐るその現象を確かめていた僕でしたが、慣れるに従いその面白さにどっぷりハマってしまいました。
ほの暖かい海水に身を委ねていると、まるで母親の胎内にいるような、えも言われぬ不思議な安心感を覚えるのです。 
重力を無くした状態で大銀河の中にポッカリ浮かび、自分が宇宙の真理によって生かされているような、そんな悟りを得た気分でした。

僕は普段は決して上等な人間ではありませんが、この晩だけは大宇宙の神秘を五感で受け取ることのできた、そんなプチ瞑想チックな思い出です。










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日々淡々
あまりの凄まじさ故にかえって現実味の乏しい映像に度肝を抜かれ、その後の世の中のゴタゴタに茫然自失のうちに今日まで時間を空費してきました。
被災された方々や、志半ばで命を奪われた方々、残された家族の皆様方には、今なお見舞う言葉が見つかりません。
その間、原発事故や避難所の惨状、はたまた物不足や買い占め問題等々、一気に噴き出した社会の病巣に、僕自身今なお綿埃のように宙に舞った状態です。

地震の瞬間は、所用で訪れた自宅近所の商店街の駐車場におりました。
これまでの経験とは明らかに異なる不穏な前兆に気づいた僕が、やり取りをしていた相手の言葉を遮り、『来ますね』と発した瞬間、激しい揺れと初めて耳にする大地の唸り声が辺りを支配しました。
隣接する建物同士がきしみ音を立てながら左右に大きく揺れ動く様は、(不謹慎ではありますが)臨場感溢れるスペクタクル映画のようでもありました。
目前の光景は夢で幾度か体験していたためか、僕は不思議と冷静でいられました。
悲鳴をあげながら中から飛び出して来る人々や、不安気に立ち止まり身を固める人々を眺めつつ、『ついに来たか』と覚悟を決めたのを記憶しています。

急いで戻った自宅に幸い大きな被害はありませんでしたが、その後TVで目にした数々のニュース映像は、僕の想像力を遥かに超えていました。
大波に流されるオモチャのような家々や車の中に、逃げ遅れた人達がいるのかも知れないという単純なことが、今ひとつ感じ取れないもどかしさがありました。
映像に携わる身からすると、(9・11の時もそうでしたが)TV画面を通して流されるそれらの場面が、ともすれば特撮映画の1場面のように見えてくるのでした。
その不謹慎な感覚を打ち消そうと、何度も頭をリセットする必要があった程です。
僕の想像力が足りないと言ってしまえばそれまでですが、普段の情報過多の弊害がこんなところで露見してしまったようです。
しかし翌日目にした僕の事務所の惨状は、今回の震災の片鱗を改めて実感させてくれました。
かなり重量のある撮影台や、棚の中の撮影機材が見事なまでに散乱していて、呆れ果てたた僕がまず最初にとった行動が、その様子を写真に収めることでした。
まるで救助隊の一員にでもなった気分で部屋の奥へと分け入った僕は、大切にしていた品々の末路を目の当たりにしても意外に平静でした。
インターネットも断線していたので、普段忘れがちな日常の有難味を再確認させられたのは、恐らく皆様方と一緒のことだと思います。
ネットワークの再生後、さしあたって僕にできることは何だろうと考えてみましたが、微々たる献金以外に思いつきませんでした。

最近になり、若干違う観点から震災を考え直しています。
それは、(人生一寸先は闇)ということです。
何を今更とお叱りを受けるかもしれませんが、実際これが正直な気持ちです。
あの日以降、日本全体が大きく行き先を変えた(変えざるを得ない?)ように思えます。
国としての方向性は、ひとえに個人個人のライフスタイルに直結してくるものです。
それぞれの人々が、自身の人生やこれからの生き方を冷静に考えるタイミングなのかもしれません。
一寸先が見えないからこそ、そこに闇を予想するのか、光を求めるのかが問われるのでしょう。
(自分も含めて)あまり深く考えもせず、皆で何となく生きて来た人々にとっては、大きな曲がり角であることは間違いないと思う、今日この頃です。



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影の主役たち
先日、仲良しのH君からミュージカルの招待状を頂戴しました。
チケットを見ると、何とあの日生劇場での公演ではないですか。
この劇場は僕の学生時代によく通っていた、とても懐かしい場所なのです。
僕がほとんど大学に行かず、ペンキ屋のバイトに明け暮れていたのは以前書いたとおりですが、このペンキ屋は閑散期になると時々掃除屋に化けるのでした。
大勢の貧乏学生達を食べさせてやろうという、社長の親心だったと想像するのですが、僕はこの掃除屋が大の苦手でした。

掃除自体は、それ程嫌いではありません。
汚れていたものが綺麗に蘇るのは、やはり気持ちの良いものです。
ただ僕の性格上、一旦始めてしまうとじっくり時間をかけてダラダラやってしまうのは、昔も今も変わりません。
この年末恒例の日生劇場大掃除プロジェクトは、重い脚立や掃除道具一式を抱え、トイレや廊下の壁から天井の蛍光灯等を、数週間に渡りビル中をかたっぱしから磨いてゆく、とても大がかりな作業でした。
決められたその日のノルマに従い、バイト仲間総勢15人程で淡々と進めていくのですが、何せ相手は歴史ある巨大な建造物ですから、幾らやってもキリがないのです。
僕は”オリジナルの姿を美しく蘇らせる”この行為がとても快感だったので、つい念入りに拭いてしまう癖があったのですが、この種の清掃ではそんな行為は当然タブーでした。
特に、日生劇場の天井は複雑な模様のアルミ板で構成されていて、多少の拭き残しなんぞは見て見ぬ振りをしなければ、とても時間内に終わらないのです。
後ろ髪を引かれる思いで作業を終え、清掃道具を抱えたまま高い天井を見上げると、薄っすら残る汚れの奥から何気に風格が漂ってくるのが、僕にはいつも不思議に思えたものです。
今回数十年ぶり劇場を訪れた僕が、真っ先に目をやったのがその場所でした。
古びた天井は相変わらず煤けていましたが、当時よりも趣きが感じられたのは、そこに僕の青春も透けていたからでしょうか。

H君が招待してくれたのは、2階真正面の特等席でした。
扉の外の世界しか知らなかった僕は、初めて立ち入った空間の荘厳さに、思わず感動してしまいました。
ゆったりとしたシートに腰をおろしていると、後ろから親方にどやされそうな気がする自分に、思わず苦笑いをする始末でした。
感慨に浸る間もなくやがて開演のベルが鳴り、ゆっくりと場内が暗くなりました。
すると突然、中世の衣装に身を包んだ集団が、1階の客席に乱入してきたのです。
その中の一人が奏でるギターに合わせ、役者全員の歌声が場内に響き渡ります。
開演後瞬時にして、別世界に誘う演出は見事なものでした。
テンポ良く展開してゆく芝居の中で、特筆すべきはその音楽の見事さでした。
フラメンコギターの調べに、次々と重なってゆく哀愁を帯びた歌声に導かれるまま、僕がジプシーの世界へと連れ込まれてしまったのは、周りの観客たちと同じく自然の成り行きでした。
久々に仕事を忘れリラックスした僕が注視していたのは、やはり友人H君の演技でした。
当然彼は立派な役者なのですが、僕の知る限り、監督、脚本家、ライター、エディター、トレーナー等の様々な顔を持っています
僕の作品にも役者として幾度か登場してもらっている彼からは、実にたくさんの事を学ばせてもらっているのです。

”Lost In Time” というバンドの(然様ならば)という曲のプロモーションビデオ撮影時のエピソードです。
曲のテーマは旅立ちでした。
このとき僕は、若者の泣き顔のみで作品を構成しようと思案中でした。
思いついた当初は、街に出て今風の若者たちに頼もうかと軽く考えていたのですが、素人が人前で簡単に泣けるはずもありません。
ビニール袋に入れた山盛りの玉ねぎを自分で嗅いだりもしたのですが、やはり嘘の涙からは何の感動も得られないことが良く分かっただけでした。(当たり前か!)
そこで急遽、役者の皆さんに助けを求めたのです。
集まってくれたのは、皆さん個性的な若い男女でした。
役者修行中の者もいれば、現役バリバリの人間もいる中で、撮影はスタートしました。

僕らは少人数で渋谷近郊を徘徊し、絵になりそうな場所を見つけてはカメラを据えるのでした。
役者さんは一人ずつそこに立ち、各々の記憶の中から感情の高まりそうな場面を思い浮かべてもらい、タイミングを見計らった僕がビデオを回す段取りでした。
ところが予想に反し、皆さん簡単には泣いてくれません。
作品の意図は前もって説明してあり、全員から『自信アリ』との返事が返ってきてはいたのですが、、、
ひたすら待つしかありませんでした。
彼らの集中力が途切れぬよう気配を殺しながら、1時間以上ファインダーを覗き続けることもありました。

役者たちは普段、演出された空間で芝居をします。
一人芝居は別として、相手とのやり取りの中で自分の世界を構築してゆくものです。
不特定多数の人々の行きかう雑踏の中、カメラの前でひとり涙を流すなどという行為が、いかに過酷なものであったかは、僕にも容易に想像がつきます。
しかし彼らは文句も言わず、ひたすら自分と闘っていました。
やがて時間の経過と共に彼らの集中力はピークを迎え、一人そしてまた一人と涙を流しながら、澄んだ瞳でレンズを見つめてくれたのでした。

撮影はさらに範囲を広げながら、1週間近くにも及びました。
H君はずっと撮影に付き合い、役者たちが気持ちを作りやすくするための様々な雰囲気作りをしてくれました。
そんな彼に、いよいよ出番の時が訪れたのでした。
僕は期待と不安が入り混ざった複雑な気分でした。
彼のそれまでの協力に対しての感謝の気持ちと同時に、僕の期待が裏切られた場合のショックを怖れていたのです。

撮影場所は、人通りの少ない歩道橋の上でした。
小さなCDラジカセから曲を流し、『お願いします!』と彼に声をかけ、僕はそっとカメラを回しました。
我々の他にはひと気のない静かな住宅街に、別れの曲が静かに散ってゆきます。
すると、それまで穏やかだったH君の表情がにわかに曇ったかに見えた瞬間、その両眼から大粒の涙が溢れ出てきたのです。
彼は瞬きもせず、じっとレンズを見据えています。
その眼差しからは、僕の何倍も深く彼がこの曲を理解しているのが伝わってきました。
僕が彼を撮っているのではなく、僕が彼に撮らされていたのです。
本物の役者の凄さというものに、僕は心底感服してしまいました。

また、”スムルース”というバンドの(夜をつないで)のビデオクリップで、彼に主人公を演じてもらった際には、その深い洞察力と卓越した演技力のおかげで、僕の薄っぺらなストーリーにリアリティーと深みが加味され、作品が何倍にも大きく成長したのでした。(僕はその時から、モノを語る面白さに目覚めたようなものです。)
演出を生かすも殺すも役者次第だということを、それまでドキュメンタリーとイメージの世界しか知らなかった僕に教えてくれたのが、このH君なのでした。


彼はこのミュージカルにおいて、脇を固める重鎮の一人として登場していたのですが、その動きや表情を見ている限り、主役級の役者たちに決して引けをとっていませんでした。
観客の目が舞台の中央に向かっている間も、傍でしっかりと表現を続けているH君を見ているうちに、彼やその他の出演者全員の力で芝居が成り立っているのだという、当たり前のことを僕は再認識したのでした。

芝居は最終番に差し掛かり、H君の大事な役どころでもある、神父の長台詞がありました。
もしここで彼が噛んでしまったなら、舞台全体の印象が大きく変わってしまうであろう、極めて重要な場面でした。
僕の心配をよそに、彼は見事な口上を楽々と披露して、観客の大喝采を浴びていたのでした。
やがて僕の目には、この芝居がまるで複雑に絡み合う、大小の歯車のように映ってきました。
(歯車同士がうまくかみ合わないと、そこで流れは止まってしまい、キッチリし過ぎても不思議に回りにくいもの、適度な遊びがあってこそすべてがうまく回りだす)という機械職人の話を、昔どこかで聞いたことがありますが、この舞台を眺めているうちに、『芝居も同じなんだな』としみじみ思えてきたのです。

僕ら映像の世界でも、一人だけの力で出来ることはたかが知れています。
餅は餅屋と言いますが、色々な人間がそれぞれ背負ったものを持ち寄って作り上げる作品には、1+1=2では無い、大きな何かがきっとあるのでしょう。



【緊急のお知らせ】
昨年末、ペ・ヨンジュン氏の家族の皆さんの前で裏方ばなしをさせて頂いた僕ですが、その後『もっと長く話を聞きたかった』とか『時間の都合で行けなくて残念だった』という、有難いコメントを多数賜りました。
この仕事における僕の役回りはあくまでも黒子であり、本来表に出てお話をするような立場ではありませんでした。
ところが、そんな僕のたわい無い話でも喜んでくださる方々の存在に、大きく勇気づけられたことは以前にも述べた通りです。
このことがきっかけになり、作品の裏側にも多くの隠れた情熱が存在していることを、観客席の皆様に知って頂けたことは、僕のみならず多くの黒子さん達にとって、大変価値のある出来事でした。
僕の中では全てを出し切ったつもりでしたが、今回コメントを下さった方々のため、もう1度だけ恥を忍んで出向いてみようかと考えた次第です。

東京、大阪、福岡と、これまた大都市のみで誠に恐縮ですが、お時間と慈愛に余裕のある方は是非お立ち寄り下さい。
(詳細はこちらから http://byj3d.blog130.fc2.com/)
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心境の変化
去年の暮れ沖縄に帰った時に、ひとつ気になるコマーシャルに出会いました。
それは地元泡盛の酒造会社のものだったのですが、そのキャッチコピーが妙に心に収まってしまい、今だ消え去る気配が見られません。
おそらく、現在の僕の心情にドンピシャだったのですね。

それは、『普通の上等』というたわいの無い言葉なのですが、考えるにつれ、とても味わい深いメッセージのような気がしてならないのです。

多分、昔の自分だったら全否定するような、完ぺき守りのメッセージです。

僕は幼い頃から父親に『向上心の無い人間になっては駄目だぞ』といい聞かされて育ちました。
生来の負けず嫌いもその教えに拍車をかけ、怠け症の病と共存しながらも、今日の日までどうにかこうにか、マイペースで頑張ってきました。
多分その甲斐もあって、浮き沈みの激しいこの業界で、何とか生きながらえてこられたのでありましょう。

今までの僕のポリシーからすると、『普通の上等』は絶対あり得ない価値観のはずでした。
目指すは、あくまでも『上等の上等』であり、百歩譲ったとしても、せいぜい『上等の普通』だったはずです。
そんな僕が、何故ゆえ『普通の上等』という言葉に共感を覚えたのでしょうか。

若かりし頃は、上り坂の向こうに新たな坂道が見えてくるのが、楽しみで仕方ありませんでした。
無論、時には苦しくて逃げ出したくなる局面もありましたが、終わってしまえば更なる障害物競走を欲してしまうという、どこか自虐的な部分があったように思います。
そういう時、いつも僕の背中を押してくれたのが、『向上心を持て』という親父の言葉だったのでした。

ところが、年を重ねるに連れ、この考え方に少しずつ変化が生じてきたのです。
それは絶えず上を目指す生活に疲れてきたとか、努力が嫌になったというのではありません。
あえて例えるとすれば、『1番じゃなきゃ駄目なんですか?』と云う、某大臣の有名なセリフに近い感覚なんです。

だいぶ前にも書いたことがありますが、最近僕は古くからの友人達とブルースバンドをやっています。
それなりに真面目にやってはいるのですが、決して必死になって続けているのではないのですね。コレが、
何故なのかな?と自分なりに分析してみると、実際は音楽が生活の中で1番じゃないからなんですね。
メンバー全員、仕事も家庭も持っていますし、他にも趣味を楽しんでいます。
確かに、バンド活動は日々の生活の張りになり、生き甲斐にもなっているのですが、これが若い頃だったら、勢いプロを目指そうとか、もっと練習を積まなくてはとか、きっと必死になっていただろうと想像するんです。
もちろん、真剣さがいけないのではなく、その度合いが問題なんですね。
自分なりに、何となく人生が理解出来てきたときに、闇雲に前に進むのでは無く、残された時間(あくまでも推測ですが)を念頭に置いた、時間のペース配分の必要性を感じ始めてきたのかも知れません。

ブルースに限らず音楽の世界では、何十年にも渡り、それこそ人生をかけて音楽を続けている人間がザラにいます。
そんな人物の演奏を耳にすると、自分らの未熟さに愕然とすることも多々あります。
そんな時には、すぐにこう思い直すのです。

『比べてどうする、みんなソレゾレ。』

下手くそなりに楽しいし、そこそこお客を楽しませることも可能なことに、遅まきながら気づいたのです。
そりゃあ比べてしまえば、すべて上下がありもしましょう。
すべては相対的なものであり、比べるからこそランクというものが出現するのです。
要するに、自分が満足しない限り、物事に終わりはないのです。
全生涯をかけて上を目指す部分と、そうではない部分を分けて考えるほうが、力が抜けて効果的なのではないかなと、そんな感じですかね。
『足るを知る』って云う言葉の意味が、少しずつわかる歳になってきましたが、故郷で出会った言葉には、大いに感じ入った次第です。

『普通の上等でいいさー!』と、しみじみ思う今日この頃です。



少々理屈っぽくなってしまいましたが、年初の戒めを兼ねてのご挨拶でした。
今年もよろしくお付き合い下さい。


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遅くなりましたが、、
明けましておめでとうございます。
昨年は、沢山の方々がこのブログを訪れて下さいました。
僕としては、まったく予想だにしなかったことでした。
まるでローカル駅前のラーメン屋が、突然ミシュランガイドに載ってしまったかのような驚きと、困惑の日々でありました。
そして皆さんの暖かい数々のお言葉に、年甲斐も無くウルウルしていたのが、つい昨日の事のようです。
『真面目にやってきて良かったな』と、どこかの引っ越し屋さんの気分でおります。

今年も何が起こるか分かりませんが、のんびりと精一杯勤め上げる所存です。
今後ともよろしくお願い致します。
この場を借りて、新年のご挨拶に替えさせて頂きます。

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スパルタ
何とか荒業(?)をこなして参りました。
この3日間、ひたすらプレッシャーとの戦いでした。
元々人前で話すことが不得手な僕ではありますが、仮にこの映画が自分のオリジナル作品であったなら、これ程困惑することは無かっただろうと思います。
語り尽くせない話題に、多分時間が足らなかったことでしょう。

しかしながら、今回は人気俳優のビッグイベントの映像をを繋ぐという、完全な黒子としての役回りなだけに、映画監督として大っぴらに紹介されることに、当初から違和感を感じて仕方がなかったのでした。
とはいえ、一度受けてしまった以上、来てくださる方々の期待に応えるべく、決死の覚悟を決めたのではありましたが、、、

終わってしまえば、あっという間の楽しい3日間でした。
司会進行役の可愛いお嬢さんの巧みな誘導に身を委ね、家族の皆様の温かい眼差しに包み込まれ、いつしか僕の過度の緊張も何処かへワープしてしまいました。
何を話したかは余り覚えておりませんが、僕なりに思ったことを正直にお伝えしたつもりです。
沢山の拍手と大きな頷きのお陰で、何とか持ちこたえられたように思います。
映像で目にしたぺ・ヨンジュン氏のあの微笑みの意味が、今ようやく分かった気がしています。

普段こちら側からは発信しない(出来ない?)裏方の哲学に対し、静かに耳を傾けて頂けたことに、望外の喜びを感じております。
肌で感じられた愛情と声援は、生涯忘れることの出来ない最高の思い出となりました。
自分のこれからの制作活動に、このうえない財産を得たように感じています。
この場を借りて、再度お礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

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お知らせ
以前このブログで、ぺ・ヨンジュン氏のイベントのことを書きましたが、その際は気の遠くなりそうな数のアクセスと、涙腺を刺激する数々のコメントを賜りました。

何の予備知識も無いまま突入してしまった大仕事でしたが、彼の立ち振る舞いを目の当たりにして、僕のペ・ヨンジュン氏に対する評価が一変してしまったのは、皆さんご承知の通りです。
その後、普段の地味な活動に戻った僕でしたが、この時に頂戴した言霊がホッカイロのように、荒んだ心を温め続けてくれています。
面識の無い方々に、直接お礼を述べる術の無いまま時を重ねて参りましたが、このたび縁合って再び家族の皆様とお会いすることが出来るようになりました。

12/13〜15の3日間、新宿ピカデリーにおいて、劇場版「ぺ・ヨンジュン3D in 東京ドーム2009」のアンコール上映会が行われるのですが、そこで僕が直接話せる機会を頂きました。
僕なんぞがノコノコ顔を出すのはどうかと思ったのですが、このチャンスを逃すと一生後悔しそうですので、恥を忍びつつ参りたいと思います。
大した話も出来ませんが、お時間のある方は是非お立ち寄り下さい。








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ART
コラボ、コラボと、よく耳にしていましたが、これまで正直あまり関心がありませんでした。
僕の仕事の場合、言ってみれば全てが共同作業なので、取り立てて誰かとコラボする必要もなかったからです。
ところが、そんな僕が今度初めてコラボレーションとやらに参加することになったのです。

このホームページをご覧になられた方は、もしかしたらご存知かも知れませんが、僕は以前から【QVISION】という立体映像装置を作っています。
僕の作品中にも何回か小道具として登場しているこの装置は、あくまでも趣味の延長で楽しんできたもので、これまで大っぴらに一目にさらすことはありませんでした。

ところが、去年あるアーティストと知り合いになり、仲を取り持って下さった方のご尽力で、共同展を開くことになったのです。
そのアーティストは、奥田エイメイさんという方で、『たけしの誰でもピカソ』という番組でグランプリを勝ち取ったことでも有名です。
大阪でギャラリーをやっている古い友人の勧めで、彼がわざわざ僕の事務所を訪ねて来てくれたことから、今回の話がトントン拍子で進んだのでした。

【浮遊体アート】と名付けられた彼の作品は、水槽の中を不思議な生き物が縦横無尽に泳ぎ回る、とても幻想的で美しいものです。
その昔、大手家電メーカーで人工筋肉の研究をされていたという奥田氏は、極めて薄く造形された様々なオブジェを、巧みにコントロールされた水流に放つことで、無機質な造形物に生命感を与えることに成功したのです。
その作品群を見ていると、まるで深海の底からやって来たような、未知の生物のオンパレードです。
事情を知らない人が、本当に生きていると勘違いしても不思議ではない程の、素晴らしい出来栄えなのです。
これまで、他人の作品とりわけアートと称されるものに対し、ほとんど興味の無かった僕でしたが、彼の作品にはとても惹かれるもがありました。

奥田氏のホームページ(huyuu.com)


アートとは一体何なのでしょう?
このテーマを掘り下げると、ここでは収拾がつかなくなってしまいそうなので、ごく簡単に述べさせてもらうと、僕にとってのアートとは、【無条件の感動】だと思うのです。
理屈をこねくり回したり、注釈を読まないと理解不能な表現は、僕は芸術とは認めたくありません。
知識がないと感動できないなんて、勉強ぎらいの僕には到底受け入れ難いものです。
美術の歴史的背景を学んだ上で、その作品を理解する大切さも当然分かりますが、そこら辺のオジサンオバサンや、何も知らない子供たちでも、ストレートに感動するような作品を、僕は理想とします。

更に言わせてもらうと、いくら優れたアートでも自己満足に終わってしまっては意味がありません。
長く製作活動を続け、大勢の人の心に影響を及ぼしてこそナンボの世界だと信じます。
そういう意味でも、奥田氏のアートはとても優れていると感じたのです。
彼は【浮遊体アート】を、ビジネスとして成り立たせています。
先日、奈良の工房にお邪魔したのですが、とても雰囲気のある素敵なアトリエでした。
立上げの頃は相当苦労なさったようですし、現在でも人に言えない辛さを抱えていらっしゃることでしょうが、それでもスタッフを抱えて製作活動を続けておられることに、僕はとても心打たれたのでした。
彼も僕の映像装置をとても気に入ってくれたようで、色々と為になるアドバイスを頂きました。

今回は、こじんまりとした空間での地味な展示ではありますが、我々初のコラボレーションを【脳内リゾート展】と銘打ち、それぞれの代表作をお披露目することにしました。
奥田氏にパワーを頂いた僕なりのアートが、世間様からどのような評価を受けるのか、今からとても楽しみです。

会場はGALLERY 21 (http://www.21inc.co.jp/gallery.html)
会期は12/7(火)〜12/20(月) です。

時間と興味のある方は、是非お立ち寄り下さい。



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しょうもない話 +
場内の集中力が全て僕に注がれているのが、金縛り状態の中でもハッキリ分かりました。
これまで、多少は修羅場を経験してきた僕ですが、今回ばかりは完全に動揺していました。
何せ、つい15秒前まで他人様をサカナに大笑いしていたのが、一瞬で立場が入れ替わってしまったのですから。
この状況はある意味、じゃがたらのライブ以上です。(ブログ09年8月参照)

傍観者然と笑い転げている女房が、うっすら目に入りました。
目の前の座席からは、息子2人がキラキラした笑顔でこちらを振り返っています。
多分彼らの明日の学校の話題は、これで決まったに違いありません。
100%絶体絶命でした。

おごそかに、生贄の儀式が始まりました。

不意に検問を受けた時の警察官のような丁寧さで、カメ先生は尋ねてきます。

「その透明なゴーグルのカメ、お名前は?」

子供らの手前、偽名を使う訳にもいかず(使う必要もないのだが)、
元気良過ぎるのも気恥ずかしく、あまり照れるのも何だかなと考えた僕は、精いっぱい神妙な態度で答えました。

「・オナガ・・・ユタカデス・・」


「みんな〜 ゆたかに拍手〜」

(ウォ〜〜!) 『・・ちょっと嬉しい・・・』


「な〜 ゆたか〜!」 「さっきこんな物を拾ったんだけど〜」

ヤツが岩場の影から取り出したものは、事もあろうに派手な女性水着の上部分でした。

艶かしく揺らめくそれを口にくわえながら、ヤツはさらに尋ねます。


「ゆたか〜 これが何だかわかるかな〜?」

『・・オイッ! ここを何処だと思ってるんだ?』


オジサンの心の叫び声は、爬虫類に届くはずもありません。

先程までの健全な話題から一転したことで、場内の大人たちはぐっと息を潜めて、こちらの様子をうかがっています。
知ってか知らずか、幼稚園児の息子までニヤついている始末です。


「・ビ・・ビキニ・デス・・・」

あちらこちらから、失笑が漏れてきます。

ありきたりの答えが気にいらなかったのか、先生のS度指数が上がります。


「ふ〜ん で、これは何をするものだ〜?」


『・・オラ〜ッ!! ここは、泣く子の黙るおとぎの国ではなかったのか〜?』

完全に追い詰められてしまいました。

ここが飲み屋なら、そりゃあ面白い切り返しも出来ましょう。
周りの大人たちを楽しませてあげたいのは山々ですが、数メートル先の息子達の眼の前で、コツコツ積み上げてきた父の権威を失墜させる訳にはいかないのです。


「・ヒ・・・日焼けをしないようにするものです」

場内がドッと受けました。

『やった〜!!』

と、喜んだのもつかの間


「そうか〜 じゃあ ゆたかも、これをするのか〜?」

『・・・ 』


善良な小市民が突然このような窮地に陥れられるとは、世の中一寸先は闇というのは本当でした。


「・ボッ・・・ボクハ・・日焼けをしてもいいので・・・・・」


『・・ハッ・・・ハズシタ・・・』


(ワ〜ッ!!)

気の抜けたパンチしか返せず、赤い顔(多分)をした僕を、場内の同士たちは暖かい笑い声と拍手で包み込んでくれました。
古い例えばかりで恐縮ですが、この時ばかりは人の情けが身に染みました。

我々の団結心に心動かされたのか、カメ先生、ようやく年老いた仔羊を解放してくれたのでした。


「みんな〜! ゆたかに拍手〜!!」

(ウォ〜〜!!)


「おまえら みんな サイコ〜だ〜!!」

(ウォ〜〜〜!!!)


ドヤドヤと、会場を後にする観客達の渦の中で、「楽しかったね〜」と抱きつく息子を担ぎながら、脱力状態で歩く僕の後方から、「ゆたか〜」「ゆたか〜」とカメ先生の幾つもの声色が聞こえてきました。

この日は、初っ端からこんな大事件に巻き込まれてしまい、すっかり調子の狂ってしまった僕でしたが、その日一日不思議に腹の立たなかったのは事実でした。

下の子を肩車しながら、最後の水上ショーを人混み越しに眺め、僕は力無く呟くのでした。


『・・怖るべし・・オリエンタルランド!・・・』


(おわり)
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しょうもない話
先日、数年ぶりに家族とディズニーシーに行って来ました。
僕以外の人間には恒例行事のようですが、行列で待つことが苦手な身には、1時間以上も同じ場所に立っていることなぞ、拷問以外の何ものでもなく、せっかくの楽しい雰囲気を壊さないため、今までは自主規制していたのです。

しかしよく考えてみると、家族そろって遊園地に出かけるチャンスなぞ、この先何年も続くことではありません。
可愛い子らの喜ぶ顔を見られるのもあと僅かかと、思い切って重い腰を上げたのでした。

上の子の代休を利用して、平日の月曜に狙いを定めました。
天気予報では天候も芳しくなく、混雑を避けたい此方には絶好のコンディションでした。
朝早く家を出発、高速を快調に飛ばし、1時間余りで駐車場に無事到着!
この調子なら、少しはのんびりとリゾート気分を味わえるだろうと、さっそうと入り口に向かった途端、僕は現実の厳しさに目を覚まされました。

そこは既にお祭り状態で、何処から湧いてきたのか?(失礼)
派手に着飾った家族連れやカップルで、ぎっしり埋め尽くされていたのです。
ある程度は予想していたのですが、今日は雨降りの月曜日なのですよ!
お前ら仕事はどうした? 学校は行かなくていいのか?
と、自分らのことは棚に上げつい毒づいてしまう、了見の狭い私デス。ハイ!

そんな僕のことなど眼中にない家族は、「やっぱり今日は人が少ないねー」などと余裕の表情です。
怖るべしオリエンタルランド、ここまで人心を洗脳できるとは、半ば感心しながら大人しく開場を待つしかありませんでした。

待つことしばし、ようやく開いた入場口からお目当てのアトラクション目指して、人々が動き出します。
あからさまではないにしろ、前をゆく人を1人でも追い抜こうと、そこには無言の圧力が充満しています。
遊園地で何が嫌いかと問われれば、僕はこの瞬間が一番嫌いだと即答します。

そりゃね。急ぐ気持ちも分かります。
ファストパスが欲しいのは僕も同じです。
でもさ。
世間でさんざっぱら競争にさらされてんでしょ。こういう所に来てまで弱い者同士争ってどうするよ!
急ぐ中にも、もう少し余裕ってもんが欲しいじゃないの。
なんて独り憤慨しているうちに、家族に置いてけぼりを喰らいそうになった僕は、やがて烏合の衆と仲良く集団疎開をするのでありました。

先程までの屁理屈も何処へやら、首尾よくお目当てのファストパスを手に入れた我々は、時間つぶしにそこいらを散策することにしました。
そこでちょうど目についたのが、新作のアトラクションでした。
家族の話によると、ここは最近オープンしたばかりの、カメとお話をする施設のようです。
(カメと話して何が面白い? などとは、口がさけても言ってはいけません。)
スムーズに入場できて大喜びの子らを見て、父は初めてホッと一息入れたのでした。

場内を見回したところ、そこは定員5〜60名のこじんまりとした空間で、正面には大きなスクリーンが設置されています。
「どうせ今流行りの3Dで驚かせるつもりなんだろうが、こちとらちょっとやそっとの立体では満足できない体になっちまったんでい!」
と、心の中で呟きます。

やがて場内が暗くなると、スクリーンの奥からCGのカメがこちらに向かって泳いで来ました。
「おや? これは立体じゃないな。そう言えばメガネも渡されなかったし、画面もレンチキュラーじゃないようだし、、、」
と、つまらない職業意識が首をもたげます。

「何を今更2D、客散らしの為に姑息な施設でも作ったんか?」
早くも斜に構えた僕をよそに、お客さん達は皆大喜びです。
「はてな?」
このカメ、確かにどこかで見覚えがあります。
そう、こいつはあの有名なファインディング・ニモに登場するキャラクター(名前は忘れた)ではありませんか。
それくらいのことは、ギリギリ僕にもわかります。
「で? それがどうした?」
意地の悪い中年ディレクターは、ついショーの演出が気になってしまうのでした。

観客を見渡すように不敵に泳ぎ回る彼の姿は、表情豊かで本当に生きているように思えてきます。
言葉巧みに、我々の片手や両手を上げさせ、駄目出しをしながら盛り上げてゆく様は、軽妙なナレーションとあいまって、TVでお馴染みの老練な司会者を連装させました。
そしてものの5分もしない内に、大人も子供も同じように大笑いしながら、カメ先生の言いなりになっていました。
けれども、片手や両手を上げて大笑いしている2人の息子の後ろ姿を眺めながら、未だ冷静な父でした。

観客達の生のリアクションを、プログラムされた映像に合わせるには、相当なテクニックが必要なはずです。
「さすがに、良く練られてるな」
その出来栄えに、僕はいつの間にか心底感心してしまっていたのですが、
カメ先生がお客と会話を交わし始めた辺りから、少々府に落ちない部分が出てきたのです。

「前から3列目の白いシャツを着たカメ、お名前は?」

「OO X男です」

「それでは X男、君はどこから来たのかな?」

「日立市からです」

「おーヒタチシ!サイコー!! ・・・どこだか分からないけど」
(場内大受け)

照れるX男氏とカメ先生との面白すぎるやり取りに、観客席にはいつの間にか一種の連帯感すら生まれていました。

「今日は良く来てくれた。みんなX男に拍手」
(ウォー)

「お前らサイコー!」
(ウォーーー!!!)

カメの生贄にされた、可哀想(でも楽しそう)な若いお父さんを眺めながら、

「あれっ! 今の人サクラか?」
と、ぼくは思わず疑ってしまいました。
何故なら、リアルタイムで自然にここまで会話とCGを成立させるのは、技術的に不可能に近いと思ったからです。
目を凝らして画面を観察しているのですが、カメの表情やリアクションは豊かで生々しく、CG映像にタイムラグは微塵も見られません。
簡単なやり取りならつじつま合わせも出来るでしょうが、今の様な掛け合いはいくらなんでも???

そして突然、運命の時が訪れました。

「この中で泳げるやつはいるかー?」

「ハーイ!!」

皆につられ、つい手を上げてしまいました。

「ハイッ! そこの透明なゴーグルを付けたカメ!」


・・・僕でした。



(つづく)





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記憶
ようやく出口の見えた今年の猛暑ですが、体力的に辛い思い出と共に、多分これからも忘れられないような光景も、幾つか僕の記憶に焼き付けてくれました。

その一つが、夏の盛りに行なわれた(渡辺美里)さんのコンサートでした。

カメラマンとしては、とうに賞味期限の切れた僕ですが、そんな自分にも、節目節目に大事なカメラポジションを任せてくれるH氏は、20年来の友人であると共に、気の置けない仕事仲間でもあります。
僕と同様、ディレクター兼カメラマンでもある彼は、長年彼女の映像を担当しているのですが、毎年この時期になると、決まって僕に声をかけてくれるのです。

今年も恒例の屋外イベントに呼んでもらった僕は、これもいつも通りステージ前の異動カメラの担当でした。
若いカメラマン達には細かい注文を出す彼も、

「オナガは好きに撮ってくれたらいいよ。」

と、いつも有り難いことを言ってくれます。(言われても出来ないからかも?、、)

やがてリハーサルが始まり、ステージ上に美里(いつもこう呼んでいるので、お許しを!)が現れました。
1年振りの彼女は、目の前の僕と目が合うとニッコリと手を上げて、明るく挨拶をしてくれました。

実は、彼女のデビュー当時の映像ディレクターを担当していたのが、若き日の僕でした。(その頃の話については、後日触れようと思っています。)
しばらく間の空いた時期もありましたが、彼女とも四半世紀を超える長い付き合いになります。
言うなれば、毎年恒例の同窓会の趣きでしょうか。
シビアなリハーサルも、何処となくリラックスするような気がするので、H氏の狙いも本当はそこにあるような気もします。(笑)

その後、カメラマンを集めた最終ミーティングが、スタッフ楽屋で行なわれました。
そこでH氏は突然、皆に黙とうを願い出たのでした。
それは、先日亡くなったKカメラマンに対するものだったのです。
Kさんは僕同様(いや僕以上に)、美里のカメラマンの常連でした。
不慮の事故が無ければ、今年も間違いなくここで顔合わせができたはずです。
彼はこの業界の生き字引のような人で、いつも笑顔で現場を和ませてくれる、素晴らしい人物でした。
僕の初ディレクションである、矢沢永吉氏のP.Vカメラマンを務めてくれたのも、Kカメラマンだったのです。
右も左も分からないような新米ディレクターに対して、少しも偉ぶったところを見せずに、大きな現場を上手く仕切ってくれました。
多分業界の中で、彼のことを悪く言う人は一人もいないと思います。
その後も僕の作品に於いて要となる、大事な人でした。


美里祭りは大盛況のうちに進み、あっという間に最終番を迎えていました。
そして、定番化している彼女の最初の大ヒット曲【マイ・レボリューション】のイントロが始まりました。
この曲には特別の思い入れがある僕は、そのメロディが流れてくるだけで、いつも熱いものがこみ上げてくるのです。
多分この曲が、自分にとっての記念碑的な作品だからでしょう。

当時まだ高校生の美里は、並み外れた歌唱力と澄んだ瞳で、すでにスターのオーラを発していました。
(そんな逸材を、何の経験もない若造に託してくれたのですから、レコード会社も相当に太っ腹な、古き良き時代でした。)

この曲のプロモーションビデオは、産まれたばかりの赤ん坊の顔と、おばちゃんの笑顔で始まります。
熟慮したわけではないのですが、何となくその二つの絵が僕の頭に浮かんだのでした。
ロックアーティスト(まだJポップという呼び名のまだ無い頃)に、赤ちゃんとおばーちゃん?
なんて疑心暗鬼な僕でしたが、美里がそのオープニングをとても気にいってくれたのが嬉しく、その後の演出家としての自信に繋がったのは言うまでもありません。
駆け出しディレクターの、持てる力全てを込めて作ったこの曲の前では、長年業界で揉まれているうちにシタタカになってしまった僕も、自然とオセンチになってしまうのも仕方ありません。

この日もファインダー越しの彼女を眺めながら、色々な記憶が脳裏を横切っていたのでした。
美里も、少し涙ぐんでいるように見えました。
そして曲の後奏が終わったちょうどその時、彼女が観客席に向かってこう言ったのです。

「実は今、皆さんの一番前でカメラを撮ってくれているのは、この曲のビデオを作ってくれたオナガさんです。」

と、僕のことを紹介してくれたのです。

「こんなに長い間、私を撮ってくれてどうもありがとう」

会場のどよめきと沸き起こる拍手に、どうリアクションしたら良いのか分からなくなった僕は、ファインダーに目を付けたまま、小さく頷くのが精一杯でした。

後になって、客席を振り返らなくて失礼だったかなと反省もしたのですが、要はいい年こいて泣きそうな顔を一目にさらす勇気がなかっただけの話でした。

今年の夏も、こうして沢山の仲間達への感謝を再認識した次第です。




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番外編(夢の雫+)
前回のブログをアップした後、友人から次のようなメールが届きました。
彼がmixiに書いたものですが、【夢の雫】の詩に込められた彼の想いが描かれています。
友人の許諾を得た上で、原文のまま転載することにします。

ーーーーー


「25回目の夏」
8月16日猛暑の中、妻は50才の誕生日を迎えました。
結婚して25回目の夏です。

人生の半分を共に過ごしてきたわけですが、
これからの人生を共に経験するための試練を与えられ、
それを彼女が実行に移したのは今年の2月13日のことでした。

小雪ちらつく、とても寒い日の昼下がりに、彼女は脳幹出血で
倒れ、救急病院へ担ぎ込まれました。
脳幹出血というのは、80%が亡くなるので、私も当然覚悟しました。
いつ旅立っても見送れるようにと、病院に泊り込み、
妻をベッドサイドから見守っていました。
先生からも、この3日間が山場であると告げられていました。

私は人工呼吸器の装着はしない決断をしていました。
人工呼吸器は、装着し、回復出来た場合はずすことは出来ますが、
これをはずすことにより、生命維持が出来なくなると判断される場合は
死ぬまではずすことが出来なくなります。
ただの植物状態であっても、生かされた状態のままとなるわけです。
それは、呼吸器をはずすことが殺人罪となるからです。

このため私は呼吸器の装着は希望せず、自発呼吸が出来ることで
生きることに希望を託しました。しかし、たまに呼吸を止めることも
あり、その時私は手をとりながら「無理しなくていいよ。
先に往って、あちらで休んでいてもいいよ。しばらく待っていて
くれれば、そのうち俺も行ところだがら、どうせまた会えるよ。」
と声をかけました。無理を強要したくはなかったのです。
生きていてほしいですが、それはとても困難な道のりを選ぶこと
でもあると理解していました。

4日目の朝を迎えました。この時に何故か、ピンと「確信」とでも
言える感覚が私の中にやってきました。妻は生きるのだ、こいつは
「生きる」ことに決めたんだなと確信しました。

ちょうどこのころ、私はエリザベス・キューブラー・ロスの本を
読んだあとでした。妻も読み、よくこの本について話をしたり
することがありました。

この本は、いわゆる終末期患者の感情や、それをどう廻りが
対応していくべきか?要するに生きることと死ぬことについての
考え方や、向き合い方についての様々な例が載っている本でした。

その中に「やり残し」について書かれていることをすぐに
思い出しました。体はもうとっくに死んでいてもいいほど、弱って
いるのに、何故か生きている人たちの話がありました。
それは、今生でどうしてもやらなくてはならないことを、まだ経験
していないという場合によく起こるようです。

本の中の一例ですが、5歳のある少年は、親からプレゼントされた
自転車の補助輪がまだはずれていなくて、補助輪をはずした自転車に
乗りたいという気持ちから、それは起きていたのではないかという
話がかかれていました。末期状態の彼は、最期を自宅ですごすために
帰宅し、まずまっさきにガレージにある自転車をとりにいって、親に
補助輪をはずすように指示をして、二輪走行をしたというのです。
そして、まもなく、心置きなくこの世をおだやかに去っていくのです。

妻は息子たちの行く末を、まだこれから見守りたいという
強い気持ちがあると、そう感じました。
それなら、これはきっと彼女の場合は長く生きるはずです。
まだ結婚もしていない二人の、孫のことまで見届けるには
そうとうな生命力が必要ですが、彼女にはそれが出来るはずだと。

ということは、私もいつまでもメソメソしていられません。
経済的に支えなくては、すぐガソリンがなくなります(笑)
4日目の朝をむかえたときから、私は、病院での泊り込みを
息子たちにバトンタッチし、会社へ出社することにしました。

しかし、この半年、涙は止まることがありません。
私にとって、このように涙を流すのは50年ぶりのことだろうと
我ながら呆れておりますが、或る日、この「涙」は悲しい涙ではなく
未来へ続くためにあるのだという、そんな感覚を覚えました。

そして、そのことを、歌にして妻の50才の誕生日プレゼントに
しようと考えました。妻は、Locked in 症候群という状態で
聴こえているけど、それには答えられない、インプットは理解するが
アウトプットはまったくできない。一般的にみれば植物状態です。
しかし、聴こえている、理解しているはずであると信じています。
今の医学では、これを証明する方法はありません。

そこで、ただ言葉で話しかけるより、音楽にすることで
「これからも、共に生きていこう!」というシンプルな気持ちを
彼女の心の奥まで届くように、そんな歌をプレゼントしたい。
その決意を、50才の誕生日にお互いに宣言しようと考えました。

私が思い描いているイメージにぴったりの曲をあるアルバムの中に
見つけました。塩入俊哉さんのピアノ曲です。
これだ!と感じて、すぐに詩を書き始め、それはスムーズに書きあがり
ました。伝えたいことを、分かりやすく妻にむけて書きました。
50才になって面と向かって書くラブソングなど、普通はこっぱずかしく
出来ることではありませんが、私はやるしかありませんでした。
なりふり構っていられないのです。

しかし、さすがに歌は歌えません(笑)

歌がへたくそでは、すべての計画は意味をなしません。
何より、ちゃんと歌が歌える人がいなくては、この計画は成立
しないのです。

この詩を書いている途中、私はある歌手をイメージ設定して
書きはじめました。その設定は、詩を書きながしっくり心にはまり
結果はどうあれ、そのつもりで書き上げました。

その歌手は白井貴子さんでした。
何故か彼女のイメージが湧いてきて、言葉も彼女であるなら
こんな言葉でもいけるな!とか、そんなイメージで書き上げました。
歌詞としては「僕」から「君」への歌で、何故、貴子さんだったのか?
それは、彼女のもっているティンカーベルのような、
野生のマーガレットのような、そんなイメージが、
私の中でしっくり来たからでしょう。

1年4ヶ月ぶりの日記は、ずいぶん長いものになりました。
そんな曲をつくって、無事に妻にとどけることが出来ました。

今回はきっとすばらしいものになると思い、白井さんと塩入さんの
音楽的な記録として映像をとっておき、そのレコーディング風景を
妻へのプレゼントとしようと思っていました。
しかし結果としては、当初の私の想像と違ったものになりました。
が、妻へ気持ちを伝えるプライベートな映像としては
とても素晴らしいもになったのだと思います。

これは妻にむけてつくっただけのものですが、映像記録をとって
くれていた友人が、同じ境遇の人々へも見てもらったほうが
いいでしょうと、自分のブログとYou Tubeで紹介してくれました。

確かにたった半年の間にも、さまざまな壁がありました。
押しつぶされそうな気持ちをかかえながらも、保険制度や
病院の転院など現実への対応へ追われ、同じ問題をかかえている
人たちはどれほど多くいるのであろう?いったい皆は、この苦境を
どうやって乗り越えているのだろう?といつも考えていました。

長妻厚生労働大臣にも、2回メールしてみたりしましたが、
2回とも同じ定型文でのメール返信が数日後にやってくるだけです。
これならば、自動返信で定型文にすればいいのにと思いながら(笑)
3回以上メールしても意味はないと、やめました。

身体障害者手帳の受付ルールや、障害年金の承認規定など、
不思議な決まりがあり、脳幹出血で倒れたケースの人には不利
だと思われる、厳しい壁がもうけられています。
我々が苦しい時には助けてもらえません。
ある一定期間を自力で切り抜けらた人が、たどり着ける
援助体制となっています。

しかし、今の国家予算と政治状況では、まだまだ
そんな細かいところまでのケアーは出来そうにありません。

昨日8/27に3つ目の病院へ無事転院しました。
年内にあと2〜3回転院をすることになります。
しばらく、じっと踏ん張ってやっていこうと思っています。

ーーーーー


【夢の雫】は下記のURLから
http://www.youtube.com/watch?v=LkroQujetQk

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番外編(夢の雫)
しぶとく猛暑が続く中、血気盛んな過去を振り返るのは、もう少し涼しくなってからにしようと決めましたので、ここしばらくは身の周りの出来事を書いてみることにします。

なんて、お気楽な自分ではありますが、僕の周りにはそれこそ天変地異のような状況に直面している友人がいます。

僕と年齢の近い彼と知り合ったのは、かれこれ20数年前に遡りますが、特に近年は仕事を離れたところでの縁が深く、家族ぐるみで泊まりがけの焚き火などを楽しむ仲でした。
2人の息子さんの子育ても一段落し、彼らの仲睦まじい様子を眺めながら、僕ら夫婦もこうありたいものだと常々思っていました。

ところが、半年程前に彼の奥さんが突然病に倒れてしまったのです。
脳幹出血という、とても難しい病状でした。
生死の境をさまよい、幸いなことに一命を取り留めることは出来たのですが、結果とても深刻な障害が残ってしまったのです。
全身麻痺と意識障害という、本人はもとより家族にとっても辛い現実が待ち受けていました。

当事者でない僕が想像するのが怖いくらい、絶望的な状況です。
一般の職業に比べて拘束も長く、時間の不規則な音楽業界の中、彼の献身的な介護が始まりました。
日々病院に通いながら彼女の手足のマッサージを行ない、時間を工面してはあらゆる治療法を探り、厳しい医療環境に直面しながらも、精神的肉体的にギリギリの生活を続けています。

しかし彼はどこまでも前向きで、思い悩んだ表情を見せたことがありません。
当然内面を伺い知る事は出来ないのですが、その明るさはある種凄みさえ感じさせます。
お見舞いに行った僕にはかける言葉もなく、ただ遠慮がちに事の様子を記録するだけで精一杯でした。

そんな彼が、あるときメールをくれました。
そこには一篇の詩が添えられていました。

それは、ベッドに横たわったまま言葉を発しない妻への切ない想いと、彼女にはきっと全て聞こえていて、ただ反応出来ないだけなのだという、彼の強いメッセージでした。
そしてその詩を、親しい音楽家やスタッフの強力を得てCDと映像に仕上げ、彼女の50歳のバースデープレゼントにしたいとのことでした。

友人の信念とその熱意には共感しつつも、僕の心の中には(?)が点っていました。

なぜそこまでするのか? そして本当に彼女に伝わるのか?

無礼は承知の上で、正直そう感じてしまったのです。

しかし彼の想いは受け止めてあげたいと、僕は喜んでレコーディングの映像記録係を引き受けたのでした。

当日、録音スタジオには顔見知りのミュージシャンやエンジニアが、顔を揃えていました。
作曲及びピアノ演奏は塩入俊哉さん、歌は白井貴子さん、録音エンジニアは山下有次さんという、そうそうたるメンバーでした。
皆さん仕事でもないのに、自然にテキパキと動き回り、 友人の2人の息子さんも顔を見せ、和気あいあいと録音は進みました。
そこでも友人は、普段通りの明るい表情で皆をまとめていました。
しかし、コンソールでプレイバックに聞き入る彼の表情からは、時おり深い憂いが顔を覗かせてもいたのです。
そしてレコーディングの最後には、息子さん達も交えて(Happy Birthday)の合唱が加わり、極めて短時間ですべての作業は終了したのでした。

とても心暖まる収録現場だったにも関わらず、数日たっても僕のモヤモヤは解消されませんでした。
当然のことながら、編集は手つかずのままでした。
数日後、再び友人から届いたメールには、先日のお礼と共に次のようなことが書かれていました。

彼女は今、周りに対して
「こんな状態になってしまい、申し訳ない 申し訳ない。こんなに迷惑をかけるくらいなら、いっそのこと死んでしまった方が良かった。」
と、悔やみ謝り続けている。

本人がこんな意識ならば、直るものも直るはずがない。
だから自分は彼女に向かって、
「そんな事はないんだ。どんな状態であっても、家族には君が必要なんだ。」
という気持ちをどうしても伝えたいんだ。

という内容でした。

これを読んで、僕の中の迷いは一瞬で消え失せました。
それまで悩んでいた自分の浅はかさに、我ながら嫌気が差したものです。

【人は必要とされているから生きられる。】
【人は生きているのではなく、生かされているものだ。】
ということを、改めて教えてもらったような気がしました。

完成した楽曲の出来はとても素晴しく、映像編集中込み上げてくる感情に、幾度も作業が中断したものです。
そこには何の飾りも計算も無く、ただ大切な人への素直な想いだけが込められていたからです。
そんな映像を見ながら僕が考えたのは、人の幸福についてでした。

人は皆、幸福を求めて生きています。
その為に頑張るのは誰しも同じだと思うのです。
それでも、もう少しお金があれば幸せになれるのにだとか、あと少し何かが足りないから幸せになれないだとか、なかなか幸福を実感出来ない人の(自分を含め)いかに多いことか。
しかし、究極の状況で1番大切なものは何だろうかと考えた時、見えてきたのはいたってシンプルなものでした。

それは、自分を必要としてくれる者の存在ではないでしょうか。
自分が今の自分でなくなったとき、果たしてその者はどう受け止めてくれるのか?
自分が友人と同じような局面に立たされた時、問われるのはそこなのだと思うのです。
果たして自分は同じ行為をやれるのか? してもらえるのか?
いつになく真剣に考えてしまいました。

そんな風に考えると、社会的な名声や物質的な豊かさなんてものは、些細な取るに足りないものに思えてくるのです。
甲斐甲斐しく奥さんの世話をする友人の映像を見ながら、涙がこぼれて仕方なかったのは、無言のうちにその答えを教えて貰ったからなのかも知れません。

ようやく完成した映像は、なんとか彼女の誕生日に間に合い、友人や関係者にも大変喜ばれました。

僕は再び、日常の垢にまみれた生活に戻りました。
しかし、そこには日常への感謝の気持ちを実感している自分がいました。
ありきたりの風景や、家族とのありふれた会話が、とても愛おしく感じるようになり、漫然と過ごす時間がとても大切に思えてきたのです。
かといって、すぐには生活パターンを変えられないのが、凡人の哀しいところです。(笑)

後日、改めて映像を見直しているうちに、僕の中である考えが頭をもたげてきました。
それは、このプライベート映像を世の中の多くの人達にも見て欲しい、という突拍子もないものでした。
言うまでもなく、この記録はあくまでも個人的なものであり、極めてデリケートな扱いをしなければいけないものです。

しかしながら、現在のように先に希望の見えない世の中で、突然の不幸に立ち尽くしている人、果てしのない苦労に疲れ果てた人、僕なんかの想像の及ばないような困難な状況に窮している人たちへ、ほんの少しの心休めになれたらと思い始めたのです。

無論、きれいごとで済むはずもないのは僕なりに理解していますし、この種の映像を快く思わない人もいることでしょう。
賛否両論あるのは当たり前ですし、批判は甘んじて受ける覚悟です。

それでも僕には、この感情を伝える意義があると思ったのです。
彼らが教えてくれたものの大きさを考えたとき、個人の小さなこだわりは力を持ちませんでした。

関係者の方々の了承が得られましたので、今回この映像を一般に公開することにしました。
関心を持たれた方は是非ご覧になって、今一度ご自身の幸福について考えを巡らして下さい。
そしてその行為こそが、身を以てその大切さを教えてくれた病床の彼女や、現在も懸命に頑張っている友人家族にとっての、更なる生き甲斐に繋がるような気がしてなりません。


下記のURLをご利用下さい。
(http://www.youtube.com/watch?v=LkroQujetQk)


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番外編(正の連鎖)
先日都内某所にて、故忌野清志郎氏の追悼イベントがありました。
とてもささやかな、それでいて心のこもった温かい集いでした。
実は僕は、そこにゲストの1人として呼ばれていたのでした。
無芸自慢の男ですから、当然歌や演奏を披露できるわけもなく、昔撮影したキヨシローさんの写真を集まったお客さんに見てもらい、撮影時のエピソードを話すのが役目でした。

ここ数ヶ月、事務所に籠もりがちの生活が続いていた僕は、どちらかと言えば元気が少々不足気味の状態でした。
そういう時の自分には、物事全てが億劫になってしまう傾向があります。
約束事に対して何となく消極的になってしまい、ズルズルと先送りした結果、直前駆け込み型のパターンとなってしまうのが常なのです。

このイベントの話も、何ヶ月も前に主催者に頼まれておきながら、事務所の引越しと時期が重なったのを言い訳にして、直前までほったらかしておいたのでした。
確かに、数十年ぶりに昔の写真をを引っ張り出し、山のようなストックの中から数十点をセレクトし、なおかつデジタル化する作業になるわけですから、気合いを入れないと出来ないことではあります。
一旦受けた以上さっさと済ませてしまう方が楽なのは分かっていても、相変わらず悪癖を捨てきれずにいる自分なのでした。
案の定、今回も同じような経緯をたどり、何とか写真を選び出したのはイベント前日のことでした。

会場のライブハウスにたどり着いた僕は、古い友人でもある主催者Kさんの姿を探したのですが見当たらず、仕方なく隅の方で所在無げに座っていたのです。
そこではちょうど、出演バンドのリハーサルが行なわれていました。
ただでさえ現在の音楽シーンに疎い僕ですから、目の前のミュージシャン達の顔も名前も、知るよしがありません。
先に書いたように消極的な精神状態の僕でしたから、あまりこちらからは皆さんに目を合わせないように、できるだけ存在感を消していたのです。

しかしながら、数年ぶりに足を踏み入れたライブハウスで聞く音楽は、僕のくすんだ身も心も少しずつ洗い流してくれるようでした。
すると突然、一人のミュージシャンが僕の前に立ちはだかり、自己紹介と共に勢い良く右手を差し出してきたのです。
突然の出来事に一瞬戸惑った僕でしたが、反射的に笑顔で握手を交わしていました。

初対面の人間に対し、こんなにも気持ち良い挨拶のできる人は初めてだったので、先刻までの淀んだ心がみるみる軽くなり、直前まで耳にしていた彼の歌声の素晴らしさを、僕の方からも素直に告げることができたのでした。

懐かしいミュージシャンとの感激の再会を果たした後も、次々と人々が現れ同じように挨拶をしてくれたのでした。
念のために申し添えておきますが、僕は決して有名人ではありませんし、彼等に顔を知られている訳でもないのです。
にも関わらず、このように接してくれる人達からは、ある種共通した雰囲気が感じられました。
それは爽やかなオーラと言うか、心を開きっぱなしにした、笑顔が良く似合う、(真の意味で)イカした人達なのでした。

もはや僕の心中の憂鬱な雲は姿を消し、そこには晴れ晴れとした青空が広がっていました。
そのうち僕の社交的な一面がノソノソ顔を見せ始め、すぐに完全支配してしまいました。
スタッフとの打ち合わせや、下手をすると大きなトラブルになりそうな出来事も、こちらの心に余裕があるため、難なく解決してしまいました。
気分の高揚した僕は、楽屋でのミュージシャン達との会話もはずみ、 彼らも緊張がほぐれてノリノリになり、お客さんも喜び盛り上がり、その後のすべての展開がスムースに流れてゆきました。

結果、その(心のわらしべ長者)的な人間関係が、その日のイベントを大成功に導いてくれたのです。
もちろんこれは主催者の皆様の努力の賜物であり、単なる僕の思い込みでしょうが、、(笑)

長く生きていると時折このような場面に出くわしますが、これだけ長く続いたのは初めてのことでした。
世間では(負の連鎖)という言葉がよく使われますが、それは(正の連鎖)とでも呼びたくなるような、とても素敵な晩だったのです。

キヨシローさん ありがとう!









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番外編(最終回)
イベント収録後、程なくスタッフを交えての編集打ち合わせが始まりました。
2日間にわたる膨大な量の映像素材を、どのようにコンパクトにまとめるのかが大きな課題でした。

クライアントからのオーダーは、とにかくアップを多用して欲しいとのことでした。
家族の皆さんために作る映画なのですから、そうなるのは先刻承知だったのですが、
この作品は単なる人気者の記念イベントにしたくないと、 僕の中では少々別の欲が湧き始めていたのです。
限られた上映時間の中でどれだけのことが可能なのか、僕の仕事がやっとスタートした気分でした。

本来の監督業は、ゼロからのモノ作りです。
ところが、今回の場合は(前にも書いたように)特殊な関わり方をしていたため、ディレクターとしてこれから何ができるのか、改めて自問自答してみました。

編集というのは、とても地味な作業です。
普段出来上がった作品を見る方々は、そもそも編集の事など気にも留めていないと思います。
それがもっともな話で、いちいちそんなことに留意していたならば、誰も作品の世界に入って行けなくなるでしょう。

この仕事はいわば黒子のようなもので、その存在が意識された瞬間に作品の邪魔をすような、とても因果な商売なのです。(当然違った見識の演出家もおられます。)
見る人が自然に作品の世界観に引き込まれ、いつの間にか作品のメッセージが心に刻まれていくための手助け、それが理想的な編集だと僕は考えています。

言い方を変えれば『主役の足を引っ張らない』とでも言うのでしょうか、作品の主役を通じて演出家が裏で語る、というのが僕の美学なのです。
確かに見栄えのする絵だけを繋いでゆけば、それなりの作品にはなるでしょう。
ところが、そこに確固たる編集意図が無い場合、観客の心に残るメッセージは貧弱になりがちです。
多分、余計な情報を混ぜる事(情報過多)により、作品の主題が薄まるのでしょう。

それを防ぐために出来る事は、情報の取捨選択しかありません。
たよりは自分の素直な感情だけです。
その作品で何を語りたいのか?、どんな後味を残したいのか?
その選別を怠ると、その作品は決して優れたものにはならないのです。
無駄を省き、素材を生かすための工夫を凝らすという、 例えれば大吟醸や懐石料理のようなものかも知れません。
いずれにしても、手を抜けば手を抜いただけ、手間を掛ければ掛けただけのものになるのです。

自分の中でその作品に思い入れが無い(いわゆるお仕事モードの)場合、素材の善し悪しを決めるのが難しく、(単に過去の経験値に基づいただけの)客観的な価値観で物事を判断してしまいます。
そのような作品は、どこといってケチはつけられないけれども、もう1度見たいとは思えないものになりがちです。
しかしその逆の場合は、『人が何と言おうとこれがいいんだ』という主観が先に立つため、そこに計算を超えた説得力が生まれるのです。

今回の場合、僕の中では明らかに後者のそれに当てはまりました。
現場で1度深く感動していたお陰で、その後の様々な判断がとてもスムースでした。
クライアントの要望を踏まえつつも、目指す方向に迷いが無かったからでしょう。
潮目が複雑に変わっても、灯台の明かりはしっかり見えていたのです。

ただ、唯一悩んでしまったのがあのコラボレーションでした。
時間の制約がなければどうしても入れたかった部分なのですが、物事の優先順位を考えるとかなり難しいことでした。
そこで僕が苦肉の策として行ったのが、作品の最後にすべての映像をコラージュすることでした。

冬ソナのテーマ曲をベースに、2日間の出来事を再構築することで、ペ・ヨンジュン氏がこのイベントに込めたメッセージを、僕なりに凝縮してみたのです。
長年生業としてきたプロモーションビデオの製作経験が、ここでは役に立ったようです。

あの映像を見た観客がどう受け止めるのかはわかりませんが、僕の中では唯一自分の主観を主張できた部分でもあり、(誤解を恐れずに言わせてもらえれば)あそこをまとめることのみが、今回の僕の仕事だったような気さえしています。

たった数分感の映像ですが、すべての素材を丹念に見直す作業になるため、実は一番時間を要した部分でもありました。
ところが、その作業の中で僕はとても大きなものを見つけてしまったのです。

それは、家族の皆さんの表情でした。
たしかに平均年齢の高い観客層でした。
当初(失礼ながら)会場のスケール感を表す為の素材的な捉え方をしていた僕でしたが、長時間モニターで観客の皆さんを眺めているうちに、その喜びと慈愛に満ち溢れた表情が、僕が今まで接してきた若いアーティストのファン達と同じ位に、初々しく見えてきたのです。

それは僕の偽らざる感情でした。
綺麗事に聞こえるかも知れませんし、自分でも意外に思えたことなのですが、すぐに答えが出ました。

普段僕は人物の絵を選別する時、その人の目を見ます。
口は笑っていても、目は嘘をつけないからです。

そう、場内を埋め尽くした数万の女性の眼差しは、青春真っ盛りの娘達と何ら変わぬ輝きを持っていたのです。

多分、それぞれの女性の一番奇麗な表情のように思えました。
もしかしたら、旦那様にも普段見せない特別の笑顔なのかも知れません。(笑)
人生を積み上げて来られたこれだけの方々から、そんな可憐な表情を引き出す御仁の魅力には、今更の形容詞も空しく響くだけです。

『顔は年齢を重ねても、瞳は(当然魂も)年を取らないものだ。』

これに気づかされたことが、今回一番の収穫だったようです。



(おわり)



ーーーーー



生まれながらの筆無精者が、こともあろうにブログなんぞを始めてしまい、夜な夜なうなされる報いを受けております。
一人で誰もいない海に向かって叫んでいるうちは良かったのですが、ぎっしりと人で埋まったビーチでは、下を向いて小声で砂をいじるだけです。
次回からは、(いつになることやら)再び地味な個人ネタに戻りたいと思います。

家族の皆様方には、数多くの有り難いお言葉を頂戴し、望外の喜びを感じております。
ご縁があれば、いつの日か再びお会いできることを、心から楽しみにしております。





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番外編(その3)
2日目は、このイベント直前に出版されたペ・ヨンジュン氏の著書『韓国の美をたどる旅』にまつわる内容で、一貫してまとめられていました。

大河のようにゆったりと流れる、韓国の民族音楽と清楚な女性たちの舞に囲まれ、自らが創作した詩を静かに朗読する彼を見ていると、作り物のステージがいつの間にか幻想的な空間に見えてくるから不思議でした。
一人芝居のセリフのようにも聞こえてるその言葉たちからは、彼の祖国に対する想いが素直に伝わってきました。

その後、続けて繰り広げられた宮廷衣装をまとった老若男女のパレードは、僕の故郷である琉球の文化と大本で繋がっているような、不思議な懐かしさを届けてくれるのでした。

『なんか、予想と違うぞ!』

悠久の歴史を目の当たりにしているうちに、 僕の中では何故か自分の祖先を見ているような、不思議な感情がこみ上げてきました。
そしてその後に披露された、琴とヒップ・ホップのステージを見終えたときでした。
心の奥底で何かが大きくはじけたのです。

琴を奏でる美女たちの輪の中でブレイクダンスを踊る集団は、渋谷あたりでよく目にする今時の若者そのものでした。
無機質なコンピューターのビートと、繊細な指先から奏でられる古典的な調べは、まさに水と油の関係だと思われました。
ところが、僕の先入観は見事に裏切られました。

この異質な組み合わせは、優しい姉とやんちゃな弟のように、時に戯れ合い時にぶつかりながら、自由気ままに自分たちの競演を楽しんでいるように見えたのです。
見ているこちらまでも心が浮き浮きしてくるような、本当に素晴らしいコラボレーションでした。
そして僕はまさしくその時、この楽しさ(無限の可能性)を第三者に伝えようとしている、背後の人物の意図に気づいたのです。

この2つの音楽の形は、間違いなく韓国の今を象徴しているのでしょう。
さらには、古い文化と新しい文化、古い歴史から新しい歴史への橋渡しを表現しているようにも思えてきました。
観光ガイド的、表面的ではない、現在進行形の本当の祖国を理解して欲しいという、その者の想いがしっかりと伝わってきた瞬間、僕は猛烈に感動を覚えたのです。

トップスターに上り詰めた者のエネルギーの使い方は、多分幾つもあると思います。
さらに人気を得る為のプロモーション活動や、ファンサービスに徹するイベント等々、、、

しかしながら、自分の影響力を使ったこんな素敵な企画が他にあるでしょうか?
ファンを喜ばせながらも、さらに大きな世界へと誘ってゆく。
その志の大きさに、同性として胸打たれたというのが正直な感想なのです。

そしてその思いが確信に変わったのが、イベントの終盤に彼が中央ステージのベンチに腰掛け、家族に宛てた葉書にメッセージを書く場面でのことでした。

その様子はリアルタイムで場内のスクリーンに大写しされ、彼の一挙一動を見守る5万人の集中力は、レーザー光線のように熱く彼の手元に注がれていました。

そんな状況下でも何ら動じる事無く、彼は黙々と(ちょこっと微笑みながら)ペンを走らせるのでした。
僕なんかよりよっぽど達筆で、書き順を改めて教えてもらった字もあったほどです。(笑)
驚いた事に、ペンの動きに一切の迷いは見られませんでした。
中継車の中でも、『本当に下書き見えない?』なんて声が飛び交うくらい、見事なパフォーマンスでした。
BGMとしての二胡の演奏が2回繰り返されたのも、予定以上に文章が長くなったからなのでしょう。
体調のすぐれない中、2日間のイベント最終盤でのこの行為には、僕はただ感心する他ありませんでした。
同じ事をハングル文字でやれと言われても、僕にはとうてい自信はありません。

正に地味な、普段の彼の努力が忍ばれる行為でした。
こんなところにも、彼の家族に対する計り知れない愛情が感じられたのです。

そしてペ・ヨンジュン氏の日本語による長く丁寧な締めの挨拶には、(不覚にも)ウルッときてしまい(年のせいか最近涙もろい、、)
最後に彼が口にする『愛してます』という言葉には、例えが適切でないかもしれませんが、偉大な宗教家に通じるものを感じた僕でありました。

もはや目の前の人物は、単なるスーパースター像から大きく変貌を遂げていました。
同じ男として、人生の目標を高い場所に見定めている男に抱く感情は、『畏敬の念』がぴったりくるのでした。


(最終回へ)


ーーーーー


思いがけない程のアクセスを頂き、突然石をひっくり返されたダンゴ虫の如き心境のワタクシですが、改めてペ・ヨンジュン氏の影響力の大きさに驚いているところです。
普段ひっそりと、気の向いたときにカルト話を書き連ねているオタク作家のブログだけに、家族の皆様には貴重なお時間を拝借しましたことを、この場を借りてお礼申し上げます。
なお、本ブログの他サイトへの転用の件ですが、僕としてはヘタクソな文章をよそで披露されることへの気恥ずかしさはありますが、別段気にはしておりません。
弱小サーバーを利用している関係上、アクセスが分散されるメリットも感じております。
ご心配頂いた方にも、重ねて感謝致します。

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番外編(その2)
イベントは、あの名曲と共に静かに始まりました。
もはやエバーグリーンと化してしまった感のある『冬のソナタ』のテーマ曲は、僕自身胸の奥がキュンとするような、不思議な懐かしさを呼び起こしてくれます。
場内はというと、感情を押し殺したような(ありきたりの表現ですが)嵐の前の静けさに包まれているようです。
観客の誰もがオーケストラの方向を凝視しています。 この場の雰囲気を味わい尽くそうとするかのような、刹那の思いがこちらにも伝わって来ます。
やがて、どこかで生まれた静かな悲鳴が、さざ波のようにドーム全体に広がると、ステージ奥の幕がゆっくり上がり、待ちに待ったこの夜の主人公の登場です。

ゆっくりと中央ステージへと歩を進めるペ・ヨンジュン氏を、10万個近い瞳がまんじりと見やっています。
深深と降りしきる雪と切ないメロディーが相まって、 殺風景な舞台通路をドラマのワンシーンのように見せてくれます。
そして、張りつめていた感情の防波堤はあっけなく決壊してしまい、抑えきれない各々の想いを口々にする女性達で、繊細な音楽ももはや途切れがちに聞こえてくるだけです。
同時に、人気のない中央ステージに大きな木がゆっくりとせり上がってきます。
その下には、もう一人の主人公チェ・ジウが待ち合わせの場所で一人佇んでいるという設定です。

この状況を冷静に見守りながら、カメラマンに的確な指示を与えなければいけない立場の僕でしたが、知らぬ間にこの物語の世界に引きずり込まれてしまっていました。

刻一刻と縮まってゆく2人の距離に反比例するかのように、場内の歓声は高まるばかりです。
もはや、観客達の感情は巨大なひとつの情念となり、舞台上の2人のまわりをグルグル渦巻いているようです。

そして、ついに物語の主人公が(曲のピークに合わせるかのように)しっかりと抱き合った瞬間、この場に居合わせたすべての人々の感情が(多分血圧も)一気に振り切れたのです。

2人の頭上で鳴り響く場違いな仕掛け花火も、 形容しがたい音圧の歓声の前では遠慮がちに響いているだけでした。

ひたすらベタな演出ではありますが、これ以上感動的が演出があるでしょうか?
恐るべき韓流ドラマの世界観を、僕はあらためて見せつけられた気がしました。

若干というか、かなり冷めた目でこのプロジェクトに臨んでいた僕でしたが、1ラウンド初っ端に1発でノックアウトされてしまいました。

『逆らうより、理解しよう。』

そう僕が思ってしまったのには、この場を支配しているこの巨大な愛情には、どんな個人の感情をも押さえつけてしまう、圧倒的な説得力があったからです。

その後、韓国人のゲスト達とのトークコーナー等が続き、インタビュアーの質問に誠実に答えるペ・ヨンジュン氏の人柄が次第に見えてきました。

人は目を見れば全てが分かる、とよく言われます。
彼の目線は、自らの受け答えの最中や他のゲストが話をしている間もしっかりと定まり、その思慮深さは選ぶ言葉からもじんわりと伝わってきました。
体調の悪さからか、若干テンションの低さは感じられましたが、それでも彼の人間性を推し量るには十分でした。

イベントが進むにつれ(お決まり事とはいえ)延々と続く彼を褒めたたえる美辞麗句に、心の奥底で反応するネガティブな感情を意識しつつも、僕のペ・ヨンジュン氏への好感度は次第に上がってくるのでした。

そしてついに、1日目のメインイベントがスタートしました。
ステージの後方に鎮座していた巨大雪だるまのオブジェが2つの気球になり、それぞれに乗り込んだペ・ヨンジュンとチェ・ジウが、場内をまわるというものでした。
当初、リハーサルの段階では1周と聞いていたのですが、それが直前になり2周に変更されたのです。

1周するだけでもかなりの時間を要するのにも関わらず、倍の時間を費やしてでもファンサービスを行うということが、僕には驚きでした。
体調の悪さは会場の家族(ファンのことをそう呼ぶ習わし)誰もが知っています。
イベンター的にも十分満足のゆく状況だったので、本人の意向以外にはこの大きな変更は考えにくいものでした。

しかし、それでも彼は(彼女も)笑顔を絶やさず、会場の隅々にまで頭を下げ続けていたのです。

半分あきれながらその様子を見ていた僕は、彼らの愛情とプロ根性を見せつけられた思いでした。

『だから、これだけの人が集まるんだ。』


家族の想いがやっと解けた、いつまでたっても浅はかな僕でありました。



(つづく)



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番外編(その1)
突然ですが、現在進行形の話をしたいと思います。
元々このブログは、僕がこの世界に入るきっかけや、その後影響を受けた様々な出来事について書き留めておこうと、軽い気持ちで始めたものです。

ところが、おぼろげな記憶を頼りにいざ書き出してみたところ、忘れかけていた日々のディテールが、あれやこれや目の前に蘇ってきてしまい、簡単にその前を通過することが出来なくなってしまいました。
基本的に時系列に辿ってゆかないことには、支離滅裂な僕の仕事の説明が難しくなってしまいます。
誰に頼まれて書いている訳でもないので、気の向くままのんびりやろうと考えていたのですが、このままでは現在の状況に追いつくのがいつになるのやら、自分でも予想がつかなくなってきました。
そんなわけで、時折(番外編)と称し鮮度の良い話題も提供してみようと考えた次第です。
そしてその記念すべき第1回は、【ペ・ヨンジュン氏】のお仕事の話です。

自分の事を客観的に捉えるのは、誰しも難しいところなのでしょうが、僕がロックの世界で一途に生きて来たと思っている人は案外多いようです。
確かにこのブログでもお分かりのように、血みどろのアングラミュージシャンやRCサクセションのような、極めてユニークなアーティスト達との出会いで、その後の人生が決定づけられた事は否定のしようがありません。
しかし、僕がいかに様々なアーティストと仕事をさせて頂いてきたことか。
  

ーーーーー


『オナガさん、3Dの企画があるんですけど』

その電話で今回の話は始まりました。

すでにホームページで披露している通り、僕は立体映像に目がありません。


『いいね〜 やる! やる!!』


と即答していました。

ところが、それは何やら大物アーティストの極秘プロジェクトらしく、実際に競合の結果が知らされたのは、それから半年近くも経った頃でした。


『実は、先日の件はペ・ヨンジュンのイベント収録なんですけど、、』


プロデューサーからの電話に、一瞬たじろいでしまいました。
ヨン様と言えば当然『冬ソナ』というか、ひたすらそれだけしか知らない世間の狭い僕であります。

聞けば、このイベントで彼は歌うでもなく、特に芝居をするでもない模様。
『そんなんで2日間も持つのかな』とは思いつつ打ち合わせに参じた僕は、どちらかと言えば最新の映像機材の方に興味津々なのでありました。

ところが、ここで1つ問題が生じました。
巷で3D元年と盛り上がっている割には、収録まわりの機材の数がまったく追いついていないようなのです。
これまで数多くのライブビデオを演出させて貰っていた僕は、いつの間にか贅沢病を患っていたようで、大きな収録となると20台30台のカメラ台数は当たり前、時には百数十台のカメラを入れた事もある、救いようの無いオタクディレクターと化していたのでした。
それが今回は何と、3Dカメラが6台だとの事。
6台もあるじゃないかとのお声が聞こえてきそうですが、小さなライブハウスならともかく、東京ドームでの3時間近くのイベント2日分を、お客さんを飽きさせないように編集するわけですから、普通に考えればカメラがいくらあっても足らないわけです。

これは初心に帰れってことかなと頭を切り替えた僕は、通常のダイナミックな収録方法をやめて、可能な限りアーティストの近くにカメラを置かせてもらえるようにしたのです。
それぞれの観客が、いつでもペ・ヨンジュン氏に張り付いているような、(たとえは悪いですが)ある種のストーカー気分を味わってくれればと思ったのです。

分厚い資料にはろくに目も通さないまま(いつもの事でスミマセン、、)本番当日を迎えた僕は、中継車の中で初めてペ・ヨンジュン氏を目撃することとなりました。
直前に入院騒ぎがあったせいか韓国側のガードが極端に固く、事前の顔合わせの機会もないままの収録になってしまいました。
この時点においては、彼に対する僕の思い入れは0に近いものだったと記憶しています。
なぜなら、それまで僕が携わってきたこの種のプロジェクトでは、必ずアーティストと直接目を合わせながら打ち合わせを行い、その人がどんな人物かを僕の中で咀嚼(そしゃく)した後に、収録を行ってきたからでした。
会話も交わさない相手をどう表現したらいいのか、自分としては初めての経験でした。

カメラを通して見る彼は意外に(失礼!)男らしく、例の微笑みもほとんど見られませんでした。
体調がまだ思わしくないのか、どちらかといえば愛想がないようにも感じられました。
リハーサルもそこそこに引き上げる彼をモニター越しに見送りながら、深いため息をついた僕でありました。
このままただの記録係に徹するしかないのかと、自分の中のモヤモヤは大きくなるばかりでした。

本番直前、会場内の空気を確かめたくなった僕は、東京ドームの長い通路を独り歩きながら、まわりの空気が徐々に変わってくるのを感じていました。
微かに聞こえて来る観客のざわめきからは、何とも言えない本番前のザワザワした緊張感が伝わって来ました。
一瞬、そこがいつも慣れ親しんだロックコンサート会場のような気がしてしまいました。
そして薄暗い廊下を抜け出た瞬間、僕は初めて目にする光景に思わず唸ってしまいました。

そこには、買ったばかりのグッズを嬉しそうに眺めたり、携帯片手にジャンプしながら知り合いに手を振ったり、まるでうら若き乙女のようにウキウキしている様子のオバサマ達で、立錐の余地もない状況になっていたのです。
これだけの数(約5万人)の女性達が、たった一人の男のために日本中から集まっているのですから、それはもうもの凄いパワーで満たされていました。
その圧倒的なエネルギーに押しつぶされそうになった僕は、

『これは、えらいことになった』

と、今更のように思うのでありました。


(つづく)




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表層と本質+++

地を這うようなベースの音が、やがて地鳴りのようにホール中に響き渡り、
悪戯小僧のようなギターの音色がじゃれるように絡みつき、
高まる心臓の鼓動のようなドラムのリズムが仲間に加わると、
RCのオープニング曲(よォーこそ)のお膳立ては整いました。

100年間禁欲していた若僧どもが、一斉にシャバに放たれたような凄まじい情念の渦で、あっという間に場内は興奮の坩堝と化してしまいました。
観客達は、そのひしゃげた腕を(まるで痙攣しているかのように)バンドに向かって必死になって伸ばしています。
それぞれの指先から激しくほとばしるエネルギーが、まるで1本の図太いプラズマになってステージに向かって放電されているように見えました。

(バンドと観客の双方の音圧で正気を失ってしまいそうな状況の中、僕がかろうじて冷静さを保っていられたのは、必死の形相で客を押しとどめている警備員の姿が目に入ったからでした。)

やがてすべての音が螺旋状にねっとりと交わり、1匹の大蛇のようにその鎌首をもたげた瞬間、そこへ花びらのように舞い込んで来たのが、キヨシローでした。

しゃがれたような、それでいて伸びのある、生で聞くと一段と迫力のある不思議な歌声が、最後の一撃を僕にくれました。



『 よく来てくれた〜! このコンサートに〜 』



『 よく来てくれた〜! こんな夜に〜 』



『 よく来てくれた〜! わざわざここまで〜 』



『 よく来てくれた〜!! よォ〜こそ〜!!! 』



これほどストレートなオープニング曲があったでしょうか?
何の飾りも無くそれでいて鮮烈なメッセージが、僕の脳みそ一気にをシェイクしてくれました。
けっして大げさな表現でなく、僕はその時全身が痺れる程の感動を受けたのです。

10分前に楽屋で目にしていたのとは、まったく別の男達がそこにはいました。
キヨシローのしなやかに歌い踊るその姿は、まさに蝶のように華麗で、流れるような動きにまといつく極彩色の衣装は、まるでベタ(闘魚)のヒレを連想させました。
その(完璧な)姿に圧倒された僕は、おろかにも衣装の色使いやコーディネートが気になっていたことが、恥ずかしく思えて仕方ありませんでした。
あの大人しそうなメンバー達も、楽屋とは打って変わり自信に満ちた表情で観客席をゆったりと見渡し、優雅に演奏を楽しんでいます。

場内の誰もが、彼らRCサクセションに合わせて歌い踊っていました。
まさか1曲目からこんな状況になろうとは、予想外の展開に僕が戸惑ったのもわずかの間だけで、泣き叫ぶ観客の波にもまれているうちに、僕はファインダーから目を離し、カメラを胸元に抱えたままノーファインダーで撮り始めていました。
目の前のこの光景を、フィルムだけでなく自分の網膜にも焼き付けたくなったからでした。

僕は生まれて初めて、歌いながらシャッターを切りました。
フィルム交換の最中も、ステージから目を離さないまま歌っていました。
会場の中の皆と自分が、完全に溶け合っている実感がありました。

そんな風に写真を撮ったのは、後にも先にもこの夜だけのことでした。


(つづく)





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表層と本質++
大変に失礼な初対面の挨拶にもかかわらず、キヨシロー氏はその後も僕に対しごく自然に接してくれました。

『今回のツアーについて回りますので、よろしくお願いします!』

と頭を下げると、

『おう〜! よろしく頼むゼ、若いの!!』

と、素朴な笑顔で返してくれながらも、言葉の端が微妙にロックしていたのが印象的でした。

振り返ってみると、当時の彼らはレコーディングやツアーの合間に、殺到するメディアの取材にも追われ、多忙を極めていました。
元々自由人が集結したようなバンドでしたから、急激な人気の高まりに伴う環境の変化に、肉体的精神的に相当にきつい頃だったろうと想像されます。
取材相手の顔も知らないような中途半端な人間を無視して、さっさとサングラスをかけて寝てしまったとしても、責める理由はどこにもありませんでした。

ところが彼は、そんな無礼な若造にもまるで古くからの知り合いのように、自然に振る舞ってくれたのです。
退屈そうに雑誌をパラパラめくりながら、時折カメラを向ける僕にわざわざひょうきんな表情を作り

『ど〜 いい写真撮れた?』

と、やさしく声までかけてくれるのでした。


『いいな〜 この人!』


僕はいっぺんに彼の事を好きになってしまいました。


のんびりした田園風景の中を迎えのバスはひた走り、たどり着いたとある公民館の楽屋で僕がまず驚かされたのが、メンバーのために用意された大量のステージ衣装でした。
そこはまるで古着屋かと見間違える程の、尋常ではない服やアクセサリーで溢れ返っていました。
それらは巨大なトランクにギューギューに押し込められていて、メンバーが寄ってたかって漁っていくものですから、さながら服のバーゲン会場のような有様になっていました。
どうやらスタイリストが東京で用意した物を、メンバー各々好き勝手に選んでいるようでした。
リハーサルを終えたメンバー達は早々と服のコーディネートを終えていましたが、キヨシロー氏は時間をかけ無差別に(僕にはそう見えた)目につくものを手当たりしだいに身にまとってゆくのです。
元々華奢な人なのですが、幾重にも重ね着をしてゆくその姿は、まるでカラフルな蓑虫(みのむし)を連想させました。
そしてその組み合わせの独特な色彩感覚はまさに圧倒的で、『スタイリストさんいなくて本当に大丈夫なのかな?』とこちらが余計な心配をしたくなるほどでした。

黙々と化粧を施す彼の後ろ姿を眺めながら、僕の中のキヨシロー像はかなり混乱していました。
それまで写真やレコードからイメージしていたロックボーカリストと、機内で隣り合わせていたどちらかといえば地味な好人物とのギャップが、どうしても埋められなかったからです。

それまで僕が抱いていたRCサクセションのイメージは、飾らない日本語を使いながらも日常の風景を魔法のように非日常に昇華させてしまう、唯一無二の前衛的なロックバンドでした。
きっと彼らは普段から常人離れしたオーラを発しているものと、勝手に決めつけていたのです。
しかし実際はメンバー同士会話を交わす風でも無く、静かに本を開いたり楽器をつま弾いたりして時間をつぶしているようです。
午後の気怠い日差しの差し込む広い楽屋に、誰かのラジカセから流れるR&Bの曲が聞こえていなかったなら、そこにいる人達は人気絶頂のロックバンドおろか、もしかしたらミュージシャンにも見えなかったかも知れません。
初の音楽雑誌のページを刹那的な世界で切り取ろうと張り切っていただけに、目の前に広がる牧歌的な風景に僕はしばし唖然としてしまいました。

しかしながら、この雰囲気に僕が失望したのかというとまったく逆で、どちらかというとこちらの方が、はるかに性に合っていました。
アーティストとしての凄みよりも、(今でもあまり変わっていませんが)人間としての魅力の方が僕には大事に思えたのです。

そうなると、何故かメンバーの事をずっと昔から知っているような気がしてきて、これまでにない優しい気持ちでシャッターが切れるようになりました。
それは僕がアンダーグラウンドのミュージシャン達を撮っているときには覚えのない、どちらかといえば近親者に感じる感情に近いものでした。

そうこうしているうちに本番の時間を迎えた僕は、セルフメイクを終えたメンバー達のスナップを手早く撮り終えると、そっと楽屋を後にしました。








息を殺して観客席とステージの間にしゃがみ込み、急いで機材の最終チェックを終えた僕は、これから展開されるであろうRCサクセションのパフォーマンスに思いを馳せました。
思えばその日生まれて初めて、僕はステージ裏の素のアーティストの姿を見る事ができたのでした。
あの大人しそうな人達がどう変身するのか、自分は本当に感動できるのだろうか、そんな自分の中で埋められないギャップを、彼らがどうやって壊してくれるのかと、期待で胸が躍っていました。

暗闇でひとりニヤニヤしていた僕は、その時ただならぬ気配に思わず場内を振り返りました。

それまで通っていた場末のライブハウスとは似ても似つかぬ豪華な作りの会場は、その雰囲気に不釣り合いの観客達でぎっしり埋め尽くされていました。
若い男女達は、それぞれ個性的なファッションに身を包み、時折顔をゆがめてはメンバーの名前を声だかに叫び、コンサートの開始を今か今かと待ちわびていました。

その殺気立った雰囲気は、かつて暗黒大陸じゃがたらのライブで感じたのと同じように、僕の背筋を一瞬凍らせました。
何かに餓え、何かに怯えているような、喜んでいるような、泣いているような、
彼らの常軌を逸した血走った目は、あの日(じゃがたら)のライブで目撃したそれと同じものでした。

ただひとつ、それがまだライブ前だということを除けば、、、



それに僕が気づいた瞬間、場内の明かりが落とされました。


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表層と本質

1も2もなく受けた今回の仕事に、僕はかなり気合いが入りました。
やはり音楽にまつわる写真を撮りたいという想いが、前回の体験のおかげで自分の中で一段と強くなっていたからでしょう。

大学在学中やアシスタント時代には、周りに写真の上手い連中がワンサカいて、自分の写真の実力ではとても太刀打ちできないと、最初から彼らのことを別世界の住人のように捉えていました。
写真スタジオで修行をしていた仲間達は、ライティングの勉強を基礎から学んだお陰で、人物撮影から物撮りまでオールマイティーにこなしているようでした。
それに引き換え自分の写真はなんとも不安定で、ほとんどアマチュア並みだということは、他の誰よりも分かっているつもりでした。

さらに困った事に 当時の僕は(今でも大して変わっていないようですが)、人や物をただ奇麗に撮るだけの行為に対し、およそ魅力を感じていなかったのです。
それよりも音楽から感じる言葉にできない感情を、試行錯誤しながらでも写真に残す方が何十倍も面白いことに気づき始めていました。



【ロッキンf】の撮影までしばらく日にちがあったため、僕はバイト先にしばらく休みを貰い、全財産をはたいてRCのレコードを買い集め、曲を聞きながら音楽雑誌の記事を読みあさりました。
ちょうどラプソディーという彼らのニューアルバムが発売されたばかりの頃で、久保講堂での迫力満点のライブの様が、栄養不足の僕の脳ミソからなけなしのアドレナリンを分泌させてくれたものです。
彼らの曲はどれも、巷に溢れていた流行歌のたぐいとは大いに次元の違うものでしたが、それまで奇妙奇天烈なバンド連中を相手にしていた反動もあったのでしょう、僕の中にズンズンと押し入って来ました。
4畳半(正確には5畳半)のアパートに響き渡るキヨシローの雄叫びは、向かいの部屋のバアさんの癇に触っていたようですが、その時の僕は一向に気にしませんでした。
数週間後、ありったけの機材で武装(?)した僕は、午前中の羽田の空港ロビーでメンバー達の到着をじっと待ち構えていました。
編集者には、ツアーのスタートから撮って欲しいと言われていたため、空港入りする彼らを一人でも見逃さないよう、必死でカメラを構えていたのです。
ところが、僕はそこで初めて大きなミスに気づきました。

その日までに、曲やメンバーの顔と名前は何とか覚えたのですが、それはあくまでも音楽雑誌からの断片的な情報でしかなく、直接顔を会わせたことのない僕には彼らの素顔を知る術はなかったのです。
当然、彼らが派手なメークのまま空港に現れるはずもなく、焦った僕はまるで指名手配の犯人を探す捜査官のような目つきで、行き交う人々を追っていました。

しかしながら、チャボさんをはじめバンドのメンバー達は、素顔ながらもステージとあまり変わらない自然な雰囲気で現れ、一目でそれとわかったので一安心でした。
軽い会釈を交わしながらの、スナップ撮影が続きました。
そして残るはボーカルのキヨシロー氏だけとなった時、僕の目の前に現れたのはチーフマネージャーのS氏一人だけだったのです。
どうやらキヨシロー氏が寝坊したらしく、最悪の場合S氏だけ空港に残り1便遅らせて合流するとのことでした。

いきなりのアクシデントに少々面食らった僕でしたが、結局ギリギリまで搭乗ゲート前で待つことにしました。
ところが、近くで一緒に待っていたはずのS氏の姿がいつの間にか消えてしまい、一人きりになった僕はやむなく搭乗締め切り間際の飛行機に飛び乗ったのです。


息を切らせて座り込んだ僕のシート(S氏の計らいでキヨシロー氏の隣りにキープしてもらっていた)の横でのんびり雑誌を広げていたのは、見知らぬローディーさんでした。
多分ドタバタ搭乗の都合で席替えをしたのだろうと思い、僕はその頼りなさそうなお兄さんに声をかけてみました。


『キヨシローさん間に合わなかったみたいですけど、コンサート大丈夫ですかね〜?』


キョトンと僕を見つめていた彼は、5秒後にゆっくりと自分を指差しました。

同じようにキョトンとした僕は、3秒後ようやく事態を察する事ができたのです。

そう、その弱々しい青年こそが、まさに【忌野清志朗】その人だったのでした。



(つづく)








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現実と夢++
美少年ヌードの撮影後、どういった風の吹き回しか時を置かずに新たな仕事の依頼がありました。
今回の電話も【写楽】の特集を見たという編集者からのものでしたが、ひとつだけ違っていたのはそれが音楽雑誌からのものだということでした。


『はじめまして、こちらロッキンfと申します。』

(シッテル! シッテル!!  アマリカッタコトナイケド 、、)


『写楽の写真凄かったですね〜 びっくりしました〜!』

(デモ シゴトコナインダヨネ〜 、、、)


『あんな連中のこと、僕らも知りませんでした。』

(ボクモ シリマセンデシタ 。。。)


『できれば、今度うちの雑誌でも写真を撮って頂けませんでしょか?』

(マッ! マッテマシタ〜〜!!!)

小躍りしながらも、極めて平静を装って僕は答えました


『ア〜 イイデスヨ〜〜』


『実は、あるバンドの密着取材をお願いしたいんですが?』

『ミッ ミッチャク!?』


『バンドのツアーに同行してもらって、ステージやドキュメントを色々撮ってほしいんですけど、、』

『そういう仕事は受けてもらえますか〜?』


(ウケルモナニモ ナンデモヤリマスヨ〜〜〜!!)


『普段は楽屋裏までは撮らせてもらえないバンドなんですが、今回特別に許可がおりたので、雑誌の方でも特集ページを組むつもりなんですが、、、』

『滅多に無い機会なので、是非お願いできないかと思いまして〜』


(キタ!キタ〜〜!! 夢の第2弾〜〜!!)

はやる気持ちを抑えつつ、勿体ぶって尋ねました。


『いいですね〜! ところで、誰を撮るんですか〜?』
 
『あの〜 RCサクセションというバンドをご存知でしょうか?、、、』


(エ〜〜〜〜〜ッ!!!!!)


〔僕はどうやら人と同じ事をするのが苦手なタイプのようです。
とは言うものの特に強い顕示欲があるわけでもなく、今まで漠然とマイペースで生きて来た気がします。
そのひねた性格は音楽の趣味にも反映していて、皆で肩を組んで歌うフォークソングの部類は、学生の頃から生理的に受けつけませんでした。
特に高校時代に組んだロックバンドの影響もあり、ゴチゴチの洋楽人間だったように記憶しています。
英語の歌詞の意味が分からなくても一向に構いませんでした。
その曲の持っているリズムやメロディーラインから感じられる何かにこそ、心が揺さぶられる気がしていました。
さらに長期間アングラの世界に接していたおかげで、大衆受けする表現に対しある種の偏見が芽生えていたようにも思えます。〕


当時、泣く子も黙るカリスマロックバンドが、このRCサクセションでした。
その過激かつ華麗なパフォーマンスの噂が、日本中に伝染病のように蔓延し始めているところでした。
僕は実際に彼らのコンサートを見た事はありませんでしたが、数多くの音楽誌を彩るその写真からは、容易にその勢いを感じ取ることができました。
何とも形容し難いド派手なメイクとコスチュームで、ステージ上を所狭しと暴れまくるメンバー達のパフォーマンスは、それまで僕がなじんできたアングラロックの世界を彷彿させるような、強烈な印象を残していました。
ときおりラジオから流れてくるその独特な歌声からは、普段は気にも留めない日本語の歌詞と情感が、不思議と素直に伝わってくるような気がしていました。
それは、かつて日本のバンドから味わった事の無い、新鮮な経験でした。


『まあどれ程のものか、この目で確かめてやるか!』
と、いつものように(何の根拠も無く)偉そうに構えていた僕でしたが、これがその後の自分の人生を決定づけてしまう程の大仕事になるということに、(当然の事ながら)気づく由もありませんでした。



(つづく)



(やっと本筋に戻って参りました。ちょいとそこら辺を散策するつもりが、本人も予想しなかった長旅になりました。RCを語る前にどうしても伝えておきたかった記憶が次々と蘇ってしまい、退屈な話を長々と書き連ねてしまいました。RCネタを期待なさっていた方々には、心よりお詫びを申し上げます。)




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現実と夢+
これじゃラチが明かないと感じた僕は、プロカメラマン(?)としての虚栄心を捨て、(本来のペンキ屋のアンチャンとして)ざっくばらんに彼らと会話を始めてみました。


『何で応募してきたの?』  『カノジョガ カッテニヤッタンスヨ〜』

『撮影いやじゃなかったの?』  『イヤニキマッテルジャナイスカ〜!』

『女の子も男の裸見て興奮すんのかな?』  『スル〜 ゼッタイシマスヨ〜』

『怖いね〜』  『ムッチャ コワイッスヨ〜!』


そんな他愛無い会話を交わしながら撮影を進めるうちに、こわばっていた彼らの表情が徐々に和らぎ始め、美少年の名にふさわしいその素顔が垣間見えてきました。
ボーイフレンドを推薦してきたギャルらの気持ちが、僕にも少しわかるような気もしました。
そのうちに彼らもシャッター音に反応して、まんざらでもない表情で自らポーズを変えるまでになったではありませんか。
つい先ほど前までギクシャクしていた現場が、あっという間に明るく創造的に変化して行きました。

無意識のうちに、カメラマンはこうあるべきだという安易なプロ意識が芽生えていたのに、そのとき気づきました。
違う違うと思いながらシャッターを切っているのですから、撮られる側が緊張するのは当然のことでしょう。
自分の波長を相手に強要しているうちは決して良い結果は生まれないという、テクニカルではない大切な基本を、ギリギリの現場で学習することができたのです。
相手のバイブレーションと自分のそれを合わせる事からすべてが始まるという、写真以外にも共通するもの作りの根源的な問題でもありました。

それまで(相手とのコミュニケーションの要らない)ステージ撮影の経験しか無かった僕にとって、それはそれは新鮮な驚きでした。
こちらの気分次第で被写体の表情がこうも違うものかと、空恐ろしい気もしました。


『オツカレッシタ〜ッ!』  『タノシカッタッス!」 

『クセニナンジャナイヨ〜!』  『ワカンナイッス〜!』


そんなこんなで何とか無事に撮影を終え、懇意になったO氏とはその後も長年に渡り、様々な仕事をご一緒させてもらうこととなりました。

出来映えはともかく、写真には技術だけではなくカメラマンの人間性が映り込むものだという、この日の現場が教えてくれたものはとても大きかったと、今更ながらシミジミ感じているところです。


(つづく)




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現実と夢
調子の良い電話の主は、少女向け月刊誌【ポップティーン】の編集者O氏でした。
後から知ったのですが、その本は過激な内容が国会で取り上げられるような、出版界における最もアバンギャルドな雑誌だったのです。
僕のようなカメラマンにお声がかかったのも当然のことでした。
それにしても、このヌード撮影に関してはさすがに世間体もあり正直迷いましたが、『何でも経験!』と囁く真面目な方の僕が勝り、とにかく彼に会って話を聞いてみることにしました。

目の前に現れたO氏は相変わらず軽い口調でしたが、目をそらさずに話をする好人物でした。

『普通にキレイキレイに撮れるカメラマンは、いくらでもいるのよ。』

彼は熱っぽく語りました。

『君の写真はちょっと違う。 何かあるよ!』

と、嬉しいことを言ってくれます。

結局そうやってまんまとおだてられ、僕の職業カメラマンとしてのスタートは怪しげな雑誌の怪しげな企画で船出を迎える事になったのでした。

彼の話によると、この企画は【ポップティーン】の読者から彼氏や知り合いを募集し、自然の中や部屋で彼らのヌード写真を撮り、それを雑誌の巻頭グラビアで大特集するというものでした。
さすが全国のPTAを敵に回すだけあり、普通の女の子雑誌では手を出さないような危ない橋を堂々と渡っていました。
裸の男達にはもう十分慣れていましたし、今度は襲いかかってこられない分楽だろうと、半ば開き直りの気分で仕事を引き受ける事にしました。

撮影当日、ロケ現場にやってきた素人モデル達の表情は硬く、どこから見ても美少年の形容詞は浮かんで来ませんでした。
ヘアメイクさんにいじられた後もどこか不自然で、どちらかと言えば2流のオカマちゃんに近い状態でした。
当然その動きはぎこちなく、撮影は苦戦が予想されました。
内心当惑しながらも、僕もプロ(?)としての面目を保たなくてはなりません。
さも慣れたフリであれこれ指示を出してみました。

『上目遣いにレンズを見て〜』 『もう少し右〜 じゃなくて左〜 、、やっぱ正面〜 、、、 』

彼らをどこからどう狙っても、どのモデルも明らかにに凍り付いています。
無駄に時間とフィルムだけが消費されていきました。

それまでモデル撮影はほとんど経験のない僕には、ファッションンカメラマンの助手時代の経験が持ち技のすべてでした。
ライティングはそれなりのつもりでしたが、今回はどうも勝手が違いました。
いつどこでシャッターを押してもさまになるプロの外人モデルと、そこら辺のアンチャンを同じ土俵に上げる方が悪いに決まっています。
そんな環境で納得のゆくショットが撮れるはずもなく、このままではエログロの世界再現かという、危ない瀬戸際に立たされてしまいました。
遠くで見守る編集者も、さすがに心配そうにこちらの様子をうかがっています。

結局のところ、化粧をするのも初めてなら(多分)、銭湯以外の場所で裸になったこともない連中相手に妖艶な世界を演出することなど、女性ヌードすら撮った経験もない僕にとっては暴挙に等しい行為だったわけです。
出だし早々冷や汗をかく、似非プロカメラマンなのでした。



(つづく)




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夢と現実++


【写楽】副編集長N氏の強力なバックアップの元、その後数ヶ月間撮影を加えた僕の作品は、誌上で11ページもの特集を組まれました。
更には写真に添える文章まで任されるという、新人カメラマンにとっては破格の扱いを受けることができました。
さすがに、公共の媒体には出せないような過激な写真は掲載されませんでしたが、それでも当時としては十分センセーショナルな題材だったのではないかと思っています。

多少は問い合わせがあるだろうと予想していましたが、やはり当時人気絶頂の全国誌だけに、その影響力たるや凄まじいものがありました。
本の発売直後にはTVの深夜番組で有名女優と対談をしたり、何を勘違いされたかアイドルのグラビアを依頼されたりと、それまで経験した事のない種類の仕事が、続々と舞い込んで来たのです。
予想外の出来事に当惑しつつも、もうこれで好きな写真だけで生活できる、辛い肉体労働とはおさらばだと、僕は期待に胸を膨らませていました。

しかしと言うより案の定と言うべきか、現実はそんなに甘くはありませんでした。
確かに僕の写真は一時的に巷の注目を集めたのかも知れませんが、世間から見れば過激な情報は他に幾らでもあり、アングラロックの写真を撮ったカメラマンやその思いにまで関心が及ばなかったのも、至極当然のことでした。
それよりも華々しいデビューがかえって仇になり、この新人カメラマンに対しある種マイナーなイメージを定着させてしまった面は否めませんでした。
お試し期間が過ぎてしまうと、潮が引くように仕事の依頼は無くなって行きました。
生活のためにやむなく続けていたバイト先で、仲間や親方にセンセセンセとからかわれているうちに、 結局僕はそれまでの生活に戻ってしまっていました。

所詮こんなものだろうと自分の中では納得しつつも、1度垣間見てしまった華やかな世界の残像は、ずっと脳裏に焼き付いたままでした。
あれほど撮りまくっていたアングラロックに対する熱意も、自分の中ではすっかり冷めてしまっていました。
数多くのミュージシャン達を何不自由なく撮れ、望みうる最高の形で世間にお披露目できたという自負心とは裏腹に、その頃のアングラシーンのあまりに過激になり過ぎてしまったパフォーマンスに対して、僕の中の音楽観がNG信号を発していました。

もはや音楽を映像化する行為自体に興味が移ってしまい、アンダーグラウンドの世界から表舞台に飛び出してみたいと考えるようになっていた僕でしたが、今更他の出版社に売り込みに行くエネルギーは残っていませんでした。

それからしばらくは、のんべんだらりとした生活が続きました。
そして掲載から1年近く経過したある日の午後、自宅アパートに突然1本の電話がかかってきたのです。

『アノ〜、イゼン シャガクヲミタモノデスケド〜 、、』


今頃かよ!と驚きながらも、内心の動揺を見透かされないように


『あ〜 はい〜 』と、少々勿体ぶって答えました。


『アノシャシン スゴカッタネ〜! ヨカッタヨ スゴク!』


『あ〜 ど〜も〜 、』


『ヨケレバ、イチドアエナイカナ〜?』


妙に馴れ馴れしい口調でしたが、特に悪い印象は受けなかったので、


『いいですよ〜! 何を撮るんですか〜?』 フレンドリーに答えてみました。


一瞬の間があり、電話の主は続けました。


『ビショウネンヌード ナンダケド 、、』


『びっ! 、、、』


久しぶりに頭の中が真っ白になった僕でした。



(つづく)









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夢と現実+
小学館写楽編集部は、僕の想像を遥かに超える広さで、数えきれない程のデスクの間を、沢山のスタッフ達が慌ただしく飛び回っていました。
電話で面会の約束を取り付けていたにも関わらず、受付らしきものが見当たらないため、しばらくは入り口で立ちすくんでいた僕でしたが、思い切って精一杯の声を出し、近くのスタッフに用件を告げました。
数分後やってきた男性は、いかにも心此処にあらずといった感じで、僕を応接コーナーらしき場所へと案内してくれました。

時折周りのスタッフに指示を出しながら、
『とりあえず見せて』と思い出したように彼は言いました。
そこで僕は初めて、応接テーブルだと思っていたのが、実は巨大なライトテーブルだと気づいたのです。
何から何までスケールが違う光景にすっかり意気消沈していた僕は、やっぱり来るんじゃなかったと本気で後悔していました。

『で、どういう写真なの?』
再度言われた僕は、怖ず怖ずとポジの束を差し出しました。

『マウントしてないんだ』
冷たいリアクションに、完全に固まってしまいました。

無言のままルーペを取り出した彼は、ものすごいスピードで写真をチェックし出しました。

ス〜ス〜っと滑るように、ポジの束を片端から見てゆきます。
これがプロの現場ってものかと感心しながら、僕はその姿をぼんやり眺めていました。
あれだけ試行錯誤を重ねた作品達が、ほんの数秒で見終わられてしまうという厳しい現実に、寂しさを感じる余裕もありませんでした。
それよりも、これだけ忙しい人達の邪魔をしている自分に、罪悪感すら感じ始めていました。
たとえ一度きりだとしても、このような第一線の現場の空気を吸えただけで十分満足でした。
また明日からバイトで頑張ろう。
急に仲間達が恋しくなってきました。

『ありがとうございました。また出直してきます。』

そう言いかけた時、彼の動きのスピードが少しずつ落ちてきたような気がしました。
見終わった写真にまた戻ったり、1枚の写真でしばらく止まったり、(気のせいか)小さなため息をついたりしています。
そして勢い良く顔を上げた彼は、

『凄いね〜コレッ!こんな連中が本当にいるんだ!!』

と、初めて僕の目を見て、そう言ったのです。

思いがけない言葉に、一瞬頭が真っ白になりましたが、

『まだ沢山いますけど、、、』

そう答えるのが精一杯でした。

『もっと撮って来てよ!凄いよコレ!!』

まるで絵に描いたような展開に、もはや返す言葉もありませんでした。
思考停止状態のまま、とりあえずこの場を立ち去りたくなった僕は、挨拶もそこそこに写真の束を抱えて立ち上がりました。

『また出直してきます!』

つい今しがた口にしようとしていた台詞が、僕を現実に戻してくれました。
言いようのない感覚に浸りながら編集部を出ようとした僕を、彼が呼び止めました。

『ちょっと待って! これ持って行きなよ!!』

『助かるでしょ!』

はじめてニヤッと笑ったN氏が差し出したのは、山盛りのKodak20本フィルムパックでした。

『現像もうちの名前で出せばタダだからさ〜』

ネタもカメラマンもアングラ丸出しだったのでしょう。
キャパを完全に超えた展開に、ほとんど泣き出しそうになっていた僕でありました。


(つづく)





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夢と現実
そうこうしているうちに、本当に少しずつではありますが、自分の納得のゆく写真がストックされてきました。
自身初テーマでの撮影行為に、少なからず満足感を覚えていた自分でしたが、作品をどこかに発表したいという思いが日々大きくなってゆくのに、内心戸惑ってもいたのです。
当時アシスタントをしていたプロの先生に相談したところ、ある男性週刊誌を紹介されました。
自分の名前がクレジットされる欲も当然ありましたが、これらの写真がどう扱われるかは容易に察しがつきました。
確かにセンセーショナルなネタではありましたが、その表層だけを捉えられゲテモノ扱いされることだけは、絶対に避けたかったのです。
長い時間をかけて使い捨て写真を撮ってきたんじゃない、という根拠の無いプライドもあったように思います。
確かに、粗野なバンド連中やネクラな客達に対し、僕の中で妙な親近感が湧いていたのも事実です。
けれども、自分のつたない表現ではあっても、彼らのエネルギーを真正面から伝えたいという思いだけは、意地でも貫こうと決めていました。
結局、他にこれといったツテも無い僕には、乏しいバイトの稼ぎをフィルム代につぎ込むしか選択はありませんでした。

ちょうど同じ頃、日本のフォトジャーナリズム界に、衝撃的な出来事が起こっていました。
写真月刊誌『写楽』の創刊です。
日本写真界の重鎮(篠山紀信)氏の全面プロデュースで生まれたこの雑誌は、大胆な写真使いと意表をつくコピー等、名うてのクリエーター達の斬新な発想で、紙面が埋め尽くされていました。
有名無名に関わらず、その作品が全国的に認知されるという、写真家にとってまさに夢のような媒体の誕生だったのです。
この本で初ヌードを披露するアイドルや女優陣も、その人気に華を添えていました。
『写楽』は、カメラマンを夢見る者にとって、程なく憧れの存在となりました。
ある意味、プロカメラマンへの登竜門とも言えました。
当然競争も激しく、各方面のプロカメラマン達がこぞって売り込みに出向いているという風の噂は、場末の僕の耳にも届いていました。

バイトの合間に最新刊を眺めては、深いため息をついていた自分ですが、ある時ふと思い浮かべたイメージが、頭から離れなくなってしまったのです。
幾度となく忘れようとしたのですが、どうしても無理でした。

『写楽に売り込みに行ってみようか、、』

自分からそんな大胆なことを考えたのは、後にも先にもこの時だけです。
ろくすっぽ腕も知識もコネも無い一般人が、そんな大それた事をしていいのだろうかと、想像しただけで冷や汗が滲んだものです。
それからしばらくは、強気と弱気の交錯する落ち着かない日々が続きました。
仕事に集中していないと、ペンキ屋の親方にどやされたりもしました。

数週間後、意を決して出版社へと向かった僕は、閑散とした昼下がりの地下鉄に1人座り、窓に映る頼りない自分の姿を眺めていました。

『ひょっとして、これで人生が変わったりして、、、』
そう自分に言い聞かせるようにぼんやり考えていたのを、妙にはっきりと覚えています。


(つづく)









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陰と光 +
長い暗転の後、いつも通りのファンキーな演奏で、ステージは始まりました。
焦らすように長く続く前奏の後、勢い良く飛び出して来た全裸の男
待ってましたとばかりに、盛り上がる観客席
幾度も金網に体当たりを加え、そのつど跳ね返され、転がる男
客席とステージを遮る金網のせいか、客達には心なし余裕が見て取れました。
例の自虐行為も、客らには既にお約束事のようでしたが、男の体から流れ出る幾筋もの鮮血が、その場にいる人間の野生を、強引に目覚めさせてしまうのでしょう。
男も女も、まるでアトラクションを楽しむかのような、キラキラした瞳をしていました。
その昔、ライオンと兵士の戦いを見物するコロシアムの観客も、同じような表情をしていたのかも知れません。

客達のそれが一変したのに気づき、思わず振り返った僕のファインダーに入ってきたのは、全裸男『アケミ』の手にする巨大なワイヤーカッターでした。
ほとばしる血を啜りながら、ねちっこいリズムに合わせるように金網を切る音が、バッチンバッチンと聞こえてきました。
蛇に睨まれた蛙のように、凍り付いたまま動けない客達
瞬く間に逆転した、客とステージの主従関係
その奇想天外な面白さに、頭がクラクラしました。

時間の感覚を忘れる中、ついに金網に穴が開いてしまい、薄笑いを浮かべた血だらけの狂人が、こちら側へにじり出て来ました。
舌なめずりをしながら、血走った眼で客席を品定めする野獣
バックの演奏が鳴っていなかったとしたら、間違いなく場内はパニックに陥っていたことでしょう。

普段我々は、無意識のうちに(思い込み)というオリをこしらえています。
オリのこちら側の安全地帯にいる我々は、あちら側で起こる様々な出来事を、すべて他人事で済ますことができます。
向こう側の痛みも快楽も、すべては自分の想像力次第です。
(プロレスやその他の格闘技を、間近で鑑賞する場合を除くと)TV画面やコンサート会場で、身の危険を感じる事はまず無いと思います。
そして、このオリを築いている限りにおいては、どんな刺激や感動も、少なからずリミッターがかかってしまうのです。
そしてこのオリが不意に取り除かれたとき、突然のことで人は頭が空っぽになり、そこで初めて素の感動が姿を現すような気がしてなりません。
このような場所に集まる人々は、きっとその禁断の味を覚えてしまった、悲しくも従順な生け贄なのかも知れません。

『アケミ』に覆いかぶさられ、現実に引き戻され泣き叫ぶ女性客と、周りでそれをただ見つめるだけの、異星人のような面々
さらには、これらの出来事を仔細に観察している冷静な自分に、ことさら違和感を感じながらも、

『人は自らの価値観を覆された時、最も感動する生き物だ。』

そんな風に、勝手に解釈した僕でありました。



(随分と遠回りしたようで、戻り道が分からなくなってしまいましたが、特に急ぐ旅でもありませんので、このままのんびり参ります。)




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陰と光
衝撃的な(撮影)体験の結果は、当然ヘロヘロでした。
感情にまかせて撮りまくったショットは、大部分が説得力を持たないアマチュアフォト(僕自身アマチュアでしたが、、)の域を出ず、特にストロボを使った写真は、そのエログロさだけが目立ってしまい、かえって拒絶感を持たれかねない代物でした。
しかし、これで僕の負けん気に火がついてしまいました。

あの晩のショッキングな出来事は、まだ生々しく瞼に焼き付いていました。
あのようなアングラムーブメントを知らずに、ダラダラと過ごしてきたカメラマンとしての怠慢を猛省すると同時に、人間をあそこまで変貌させてしまう、得体の知れないエネルギーの凄さを、世に知らしめたい。
やっと探し当てた写真のテーマを前に、胸が躍りました。

当時のアングラシーンは、『じゃがたら』を筆頭格に『スターリン』『ぐんじょうがクレヨン』『タオ・セントラルステーション』等の、カテゴリーに囚われない自由で奇抜なパフォーマンス集団を、続々と生み出していました。
会場で貰うチラシをたよりに別のライブに行くと、必ず面白いバンドに出会えました。
多少音楽をかじったカメラマンの卵にとっては、そこはワクワクする被写体の宝庫でした。
アシスタント時代のファッション撮影や、ナンパ気分の街角スナップとは違い、好きな音楽に身を任せながら、感覚的にシャッターを切るという行為が、自分にはとても自然だったのです。
必ずしも共感を持てる音楽ばかりではありませんでしたが、彼らの度肝を抜くアイデアや行動力には、素直に感動を覚えていたのです。

あるライブハウスでの体験です。
普段はイスの置かれているフロアーが、壁を含めすべてビニールシートで覆われていました。
ライブ直前になっても、客たちは後方から遠巻きに眺めているだけです。
程なく、バンドのローディーが幾つもの青いポリバケツを、重そうにステージに引きずって来るのが目に入りました。
悪い予感がした僕は、急遽手近にあったコンビニ袋でカメラを包み、上半身裸になり覚悟を決めました。

案の定、最悪のライブが幕を開けました。
演奏(と言うよりほとんどノイズ)と同時に、すでに興奮状態のバンドのメンバーらが、手当たり次第バケツの中の臓物を、客に向けて投げ始めたのです。
逃げまどう観客達の壮絶な悲鳴と、アバンギャルド(?)な演奏の、前代未聞これぞ酒池肉林のコラボレーションでした。

自分の参加していたバンドは、決して上手ではありませんでしたが、もう少し正攻法で音楽と向き合っていたつもりでした。
世の中には、完成度の高い音楽は他に幾らでもあるはずです。
なのに何故、お客達はわざわざチケットを買い、身の危険を冒してまで、こんな乱痴気騒ぎを見に来るんだろう?
頭上を飛び交う骨や肉片を避けながら、その事ばかりを考えていました。

バイトの合間にそんな撮影を続け、半年も経った頃でしょうか。
ようやく、その答えらしきものを見つけられたのは、とあるライブでの出来事がきっかけでした。

ロックでは珍しく、全席畳敷きのその会場(公民館)では、観客は皆靴を脱ぎ足を崩し、思い思いにくつろいでいました。
そこだけを見ると、まるで大衆演劇か落語の高座を待っているような、ほのぼのとした風景でした。
ところが反対側に目を転じると、そこにはあたかも動物園のオリのような、巨大な金網が舞台前面に張り巡らせてありました。

そしてその日は、あの『じゃがたら』のライブだったのです。


(つづく)




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光と陰
大学を中退した当時の僕は、ペンキ屋や清掃員のアルバイトで日々の生計を立てつつ、自分がカメラマンに向いているのかどうか、迷いの日々を送っていました。
バイト先で知り合った仲間とロックバンドを作り、プロのミュージシャンを目指す彼らと一緒に甘い夢を見ながらも、その悶々とした思いは一向に変わりませんでした。
そんな惰性に満ちたある日、バイト帰りに立ち寄ったジャズ喫茶の急な階段で、ふと目にした1枚の写真が、すべてを変えてしまいました。

モノクロのポスターの中でマイクを握り、苦悶の表情を浮かべ絶叫する全裸の男、その目はもはや常人のそれでは無く、無数の傷跡が残るその額からはおびただしい血が滴り落ち、彼の背後では歌舞伎メイクにド派手なコスチュームのバンドメンバーが、各々見得を切っているという、明らかに常軌を逸した世界でした。
初めて見るそのビジュアルから受けたショックは、今でも自分の美感の中に尾を引いているような気もします。

一体何なんだ?

沸々と好奇心が湧いてきました。
数週間後、カメラ片手にとあるストリップ劇場に向かった僕は、その前にたむろする人種に少々怖じ気づいていました。
真夜中12時近く、繁華街から離れた薄暗い歩道に4〜50人程集まった黒ずくめの男女が、互いに言葉を交わすでもなく、じっと開場時間を待っているのです。
普段見慣れたライブハウス前の賑やかさとは、明らかに異質な雰囲気でした。
やがて、公演を見終わった(満足げな)オヤジ連中が出てくるなり、場違いな集団に容赦のないガンを飛ばしていたのが印象的でした。

およそロックには似つかわしくない、目に痛い蛍光ピンクの階段を降りてゆくと、そこには通称デベソと呼ばれる怪しげなステージが、堂々と鎮座していました。
相変わらず無言のまま、不思議そうにキョロキョロと周りを見回す客達が、少し可笑しく感じられました。

公演は、白いトレンチコートに身を包んだ一人の男の弾き語りで、意外な程静かに始まりました。
デベソの上で奏でられるそのメロディーは、場内をつい今し方まで満たしていた、色情の残り香と妖艶に絡み合い、体の芯を熱くくすぐるような感じがして、どこかしら罪悪感を覚えたものです。
 
遠慮がちにファインダーを覗き、観客の様子を伺います。
気のせいか、彼らの目に少し生気が感じられるような気がします。

突如、男の歌が激しくなります。
ノイズさながらのアコギの音にかき消され、言葉を聞き取れない悲しい叫び声が、それまでの怠惰な空気を瞬時に消し去ります。
得体の知れない激情が狭い小屋中に充満し、それが飽和状態に至ると、男はやおら立ち上がり、手にしたギターを足元に落とし、コートを脱ぎ捨てます。
その瞬間、つんざくようなエレキのリフが響き渡り、逆光と共に男の背後の真っ赤な幕が、一気に振り落とされます。
そこに忽然と現れたのが、かの伝説の音楽集団『暗黒大陸じゃがたら』でした。

狂犬病の犬のような『アケミ』の吠えるボーカルに、熱く覆いかぶさるファンキーな演奏は、アングラらしからぬプロの音そのもので、こちらの汗を激しく震動させる音圧と相まって、(不謹慎な表現ですが)まるで音にレイプされてゆくような感覚を、否応無しに味合わせてくれました。
一瞬気を失ったような感覚に包まれた僕は、気を取り直し夢中でシャッターを切り始めました。
それは、初めての体験でした。
脳ミソに直接手を突っ込まれ、リズムに合わせてかき回されるような、恐ろしくも快感に満ちた体験でした。
『アケミ』は裸の下半身を振り乱し、歌いながらいきなり客席にダイブし、襲いかかった女性客のスカートをはぎ取り、(紙コップに自ら排出した)小水を客席に振り撒きます。
狂気の沙汰とは正にこの事だと思いました。

しかし、
この光景に唖然としながらも、自分の中の(何か)が明らかに変化してゆくのを、そのとき確かに自覚しました。

それまでの数少ないライブ経験では、アーティストが客に本気で飛びかかるなどということは、絶対にあり得ないことでした。
お金を払ってもらう側に対し、頂く側から危害を加えることは、タブー以前のタブーでした。
ライブの最中に生きたニワトリの首を切ることで有名な、沖縄のロックバンド『コンディショングリーン』でさえ、その最低限のルールは守っていたのです。

しかし、今僕が感じているこの高揚感はいったい何なのでしょう?

背後からの熱気を感じて振り返ると、そこには恍惚の表情を浮かべ、拳を上げ叫んでいるファン達がいました。
あの能面のような、静かな人達でした。
皆、別人のように目を輝かせ、あふれる興奮を隠しもせず、ひたすら踊り狂っていました。
『アケミ』に襲われ、恐怖に怯え、逃げ惑いながらも、その表情は生気に満ち満ちていました。

一体何なんだ?

その思いは大きくなる一方でした。



(RCにまつわる話を書こうと思っていたのですが、少々遠回りをしてしまいました。じきに戻ってきますので、今しばらくお付き合い下さい。)



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静と動
僕のスチールカメラマン、正確にはRCサクセションのオフィシャルカメラマン時代のエピソードを、数回に分けて書いてみたいと思います。

当時の僕は、RCのマネージャーの特別な計らいで、ライブ中はどこからでも自由に撮っても良いという、ありがたいお墨付きを頂いていました。
言うまでもなく、ろくに経験も実力もない新人カメラマンにとって、身分不相応の贅沢極まりない環境でした。
しかしそれは同時に、良い写真が撮れて当たり前という、重いプレッシャーのかかる立場でもあったのです。
1年も過ぎた頃でしょうか、当然のごとく僕は壁に突き当たっていました。

どうすれば納得のゆく写真が撮れるのか? 試行錯誤の日々が続きました。
ツアーパンフやポスター用の、無難な写真は撮れていました。
(伝説のバンドを前にして、使えない写真を撮ることの方がよほど難しかったのでしょうが、、)
しかし、初めて彼らのライブを目の当たりにしたとき、鳥肌の立つような激しい衝動が生み出した、何の計算もない写真とはどこか違っていたのです。

RCのライブで感じるあの高揚感を、どうにかしてフィルムに焼き付けたい。
そのためは、技術的に思いつくことは何でも試してみました。
高感度フィルムをさらに増感したり、超スローシャッターで撮ってみたり、ストロボをスローシンクロさせてみたり、etc.
それでも、頭の中のイメージとはどこかズレていたのです。

マンネリ?

そんなことを意識するあまり、少々クールになり過ぎていたのではないかと反省した僕は、あるとき熱狂するファン達と一緒に歌を口ずさみながら、気軽なカメラワークで撮影してみました。
カメラブレなど気にせず、ノーテンキ、ノーファインダー状態でシャッターを切り続けました。
久しく忘れていたあの感動が蘇り、写真を撮る喜びに満ちあふれた2時間が、あっという間に過ぎました。

これだ!
大切な何かを取り戻したような興奮に浸りながら、現像の結果を待ちました。

結果は散々でした。

ピントも露出もバラバラ、使える写真など殆どありません。
フィルムの束を部屋の隅に放り投げ、絶望のどん底に落ち込んだ僕は、しばらく立ち直れませんでした。

でも楽しかったよな。
数日後、天然の僕はそう考えてみたのです。

もう一度、その日のポジを見直してみました。
気分一新、捨てられていたカットの中から、少しでも良いところを探してみたのです。
これで露出が合っていたなら 、 このピントのずれは OK 、、 この感じは好きかも 、、、

その後も、そうしたトライ&エラーを繰り返し、拾い集めた要素を少しずつ取り入れていくことで、徐々にではありますが自分の理想とする写真に近づけていったのです。

醒めた目で熱く撮る。

このときの学習が、自分の映像哲学の座右の銘になっています。


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音の会話
最近、高校時代の仲間でバンドを始めました。
ギターとベースは夫婦で、海にほど近いのんびりした郊外に居を構えています。
もう一人のギターはお医者様で、学会を兼ねて故郷から飛行機でやってきます。
僕はファジーなリズムが得意なドラム担当です。
練習場所は、夫婦の作った立派な(?)スタジオです。
早くに巣立った息子さんの部屋を改造してあるようです。
すべて手作りですが、音楽好きの主の手が行き届いた、申し分のない環境になっています。
 
まだ数回しかセッションをしていませんが、回を重ねるごとに少しずつまともな音に変化してゆく、伸びしろたっぷりな素人バンドです。
主と僕は、高校時代に同じバンドをやっていましたが、奥方とお医者さんは最近になって本格的に始めたとのこと。
そんな中年どもが集まって出す音ですから、今は間違っても人前で披露できるレベルではありません。(将来は分かりませんよ!?)
みんな自分のパートに手一杯で、他の楽器の音にまでは気が回らない状態です。
それでも少しずつ余裕が出てくるのに比例して、それなりにバンドの音になってゆくのが、とても面白いのです。

楽器というものは正直で、上手い人も下手な人もちゃんとその感情が音に表れるものです。
自信のあるときは力強く、逆のときにはヘロヘロの音が出てきます。
互いに照れながらも、徐々に自信の音へと成長させてゆくにつれ、そこにひとつのGROOVE感が生まれてきます。
そんなときのメンバーの顔は、数十年前の昔に戻ったように、若々しくキラめいています。
多分、個々の仕事場では見られない、とっておきの表情なのかも知れません。
そんな瞬間は、えも言われぬ気持ちの良いもので、それを一度味わってしまったが為に、人生の岐路に迷う(?)若者が絶えないのも知れません。

僕らにはもう、迷うほどの選択肢は残されていないので、開き直って音楽を楽しむことができます。
端から音楽を極めるつもりがないのが、むしろ強みになっているような気がします。
プロのミュージシャンのように同じ演奏は2度とできないし、やりたくもありません。
その時々の気分で、ひたすらかき鳴らしているだけです。
『これって井戸端会議みたいだな』
叩きながら、ふと思いました。

訛りだらけでボキャブラリーに乏しい会話でも、昔からの仲間とは十分に分かり合える。
そんな感じがたまらなく嬉しく思える、今日この頃です。

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気持ちの整理
この上なく個人的なことなので、書くことを長らく躊躇していましたが、やはりこの感情は残しておこうと思います。

ホームページの冒頭でも触れましたが、自身の履歴をことさらに振り返ってみると、どうしても外せない人物との出会いに気づかされます。
今になって、あれが人生の転機だったんだなと思い返される出来事には、必ず重要人物が登場します。

その人との出会いが無かったなら、その後の展開はまったく違っていただろうと想像すると、恐ろしくさえ思えてしまうような人たちです。
事あるごとに思い出し、感謝の気持ちを新たにしていた人物を、最近立て続けに見送ることになりました。
一人は、僕を音楽カメラマンとしての道へ導いてくれた、孤高のミュージシャン。もう一人は、スチールカメラマンからムービーの世界へと、優しく誘導してくれた名プロデューサーです。
お二方とも長いこと会っていませんでしたが、時を感じさせない懐かしさを不思議と持ち続けてこられた、大切な僕の恩人でした。

病気の噂を聞いてはいても、現実逃避のように会うのを避けていた、弱い自分でした。お見舞いに行った後の辛い体験を幾度となく重ねていたため、その人との別れを想像するのが当たり前のように怖かったのです。

結果、何一つ言葉を交わせないままの別れになってしまいました。

正直に言うと、驚きはしましたが感情はあまり乱れませんでした。
どこかで覚悟をしていたような気がします。
覚悟を決めて、早々と自己防衛の準備をしていたのかも知れません。

幼い頃から育った、故郷の実家が取り壊されました。(十年以上も前のことですが、、)沢山の思い出が詰まった古い小さな家でした。
目を閉じれば、部屋の間取りや大切にしていた品々を、手に取るように今でもありありと思い出すことができます。
幾度となく帰郷をして、数ブロック程の近所に立ち寄ることがあっても、決して近づくことのない場所です。
多分これからも、そこにある建物を目にすることはないでしょう。

現実に覆いかぶさられる前に大切な記憶を守りたい、そんな子供じみた感情が自分の中にあるということを、最近自覚しています。

先に行ってしまった人たちとの数々の思い出は、自分にとってかけがえの無い宝物です。思い起こすたびに心が和らぐ、魔法の映像です。
様々な場面での懐かしい声や景色が、タイムスリップするかのように頭の中で再現できます。(さすがにハイビジョンではありませんが、)
許されるならば、自分が召されるまで覚えていたい至福の光景ばかりです。

自分が恩人だと思っていたこと、いつかまた一緒に仕事がしたかったこと、それを伝えられなかったことを後悔しています。
多分本人を前にしたら、照れくさくてとても言えなかったとは思います。
言葉にしなくても、何となく分かってくれていたような気もします。(勝手な気休めでしょうが、、)
時間がたつにつれ、そんな止め処のない思いが強くなってきています。
 

結論の出ない問いではありますが、そんな中一つだけはっきり分かったことがあります。お礼を言っていない恩人達が、今なお自分の周りにこれだけいてくれるということが、、、


共に生きる友人達に、深い感謝の気持ちを込めて


ありがとうございます。




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何かのご縁で!
『今更ホームページなんて』と、長年考える事も避けてきましたが、(友人の強い勧めもあり)ついに立ち上げてしまいました。
(多分業界一の)アナログ人間のやることではないと後悔しつつも、関係者の皆様には大変なご苦労をおかけしました。この場を借りてお礼申し上げます。

この年になると、さすがに世間様の怖さも身に染みておりますので、声高に放つメッセージが特にある訳でもありません。
とはいえ、最近(若い頃以上に)忘れっぽくなってきたので、自分自身へのタイムカプセル代わりにでもなればと、徒然なるまま思い浮かんだ戯れ言を、ここに書き残しておこうかと軽〜く考えている次第です。
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