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表層と本質
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2010年2月6日 20時33分
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1も2もなく受けた今回の仕事に、僕はかなり気合いが入りました。
やはり音楽にまつわる写真を撮りたいという想いが、前回の体験のおかげで自分の中で一段と強くなっていたからでしょう。
大学在学中やアシスタント時代には、周りに写真の上手い連中がワンサカいて、自分の写真の実力ではとても太刀打ちできないと、最初から彼らのことを別世界の住人のように捉えていました。
写真スタジオで修行をしていた仲間達は、ライティングの勉強を基礎から学んだお陰で、人物撮影から物撮りまでオールマイティーにこなしているようでした。
それに引き換え自分の写真はなんとも不安定で、ほとんどアマチュア並みだということは、他の誰よりも分かっているつもりでした。
さらに困った事に 当時の僕は(今でも大して変わっていないようですが)、人や物をただ奇麗に撮るだけの行為に対し、およそ魅力を感じていなかったのです。
それよりも音楽から感じる言葉にできない感情を、試行錯誤しながらでも写真に残す方が何十倍も面白いことに気づき始めていました。
【ロッキンf】の撮影までしばらく日にちがあったため、僕はバイト先にしばらく休みを貰い、全財産をはたいてRCのレコードを買い集め、曲を聞きながら音楽雑誌の記事を読みあさりました。
ちょうどラプソディーという彼らのニューアルバムが発売されたばかりの頃で、久保講堂での迫力満点のライブの様が、栄養不足の僕の脳ミソからなけなしのアドレナリンを分泌させてくれたものです。
彼らの曲はどれも、巷に溢れていた流行歌のたぐいとは大いに次元の違うものでしたが、それまで奇妙奇天烈なバンド連中を相手にしていた反動もあったのでしょう、僕の中にズンズンと押し入って来ました。
4畳半(正確には5畳半)のアパートに響き渡るキヨシローの雄叫びは、向かいの部屋のバアさんの癇に触っていたようですが、その時の僕は一向に気にしませんでした。
数週間後、ありったけの機材で武装(?)した僕は、午前中の羽田の空港ロビーでメンバー達の到着をじっと待ち構えていました。
編集者には、ツアーのスタートから撮って欲しいと言われていたため、空港入りする彼らを一人でも見逃さないよう、必死でカメラを構えていたのです。
ところが、僕はそこで初めて大きなミスに気づきました。
その日までに、曲やメンバーの顔と名前は何とか覚えたのですが、それはあくまでも音楽雑誌からの断片的な情報でしかなく、直接顔を会わせたことのない僕には彼らの素顔を知る術はなかったのです。
当然、彼らが派手なメークのまま空港に現れるはずもなく、焦った僕はまるで指名手配の犯人を探す捜査官のような目つきで、行き交う人々を追っていました。
しかしながら、チャボさんをはじめバンドのメンバー達は、素顔ながらもステージとあまり変わらない自然な雰囲気で現れ、一目でそれとわかったので一安心でした。
軽い会釈を交わしながらの、スナップ撮影が続きました。
そして残るはボーカルのキヨシロー氏だけとなった時、僕の目の前に現れたのはチーフマネージャーのS氏一人だけだったのです。
どうやらキヨシロー氏が寝坊したらしく、最悪の場合S氏だけ空港に残り1便遅らせて合流するとのことでした。
いきなりのアクシデントに少々面食らった僕でしたが、結局ギリギリまで搭乗ゲート前で待つことにしました。
ところが、近くで一緒に待っていたはずのS氏の姿がいつの間にか消えてしまい、一人きりになった僕はやむなく搭乗締め切り間際の飛行機に飛び乗ったのです。
息を切らせて座り込んだ僕のシート(S氏の計らいでキヨシロー氏の隣りにキープしてもらっていた)の横でのんびり雑誌を広げていたのは、見知らぬローディーさんでした。
多分ドタバタ搭乗の都合で席替えをしたのだろうと思い、僕はその頼りなさそうなお兄さんに声をかけてみました。
『キヨシローさん間に合わなかったみたいですけど、コンサート大丈夫ですかね〜?』
キョトンと僕を見つめていた彼は、5秒後にゆっくりと自分を指差しました。
同じようにキョトンとした僕は、3秒後ようやく事態を察する事ができたのです。
そう、その弱々しい青年こそが、まさに【忌野清志朗】その人だったのでした。
(つづく)

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