番外編(最終回)
イベント収録後、程なくスタッフを交えての編集打ち合わせが始まりました。
2日間にわたる膨大な量の映像素材を、どのようにコンパクトにまとめるのかが大きな課題でした。

クライアントからのオーダーは、とにかくアップを多用して欲しいとのことでした。
家族の皆さんために作る映画なのですから、そうなるのは先刻承知だったのですが、
この作品は単なる人気者の記念イベントにしたくないと、 僕の中では少々別の欲が湧き始めていたのです。
限られた上映時間の中でどれだけのことが可能なのか、僕の仕事がやっとスタートした気分でした。

本来の監督業は、ゼロからのモノ作りです。
ところが、今回の場合は(前にも書いたように)特殊な関わり方をしていたため、ディレクターとしてこれから何ができるのか、改めて自問自答してみました。

編集というのは、とても地味な作業です。
普段出来上がった作品を見る方々は、そもそも編集の事など気にも留めていないと思います。
それがもっともな話で、いちいちそんなことに留意していたならば、誰も作品の世界に入って行けなくなるでしょう。

この仕事はいわば黒子のようなもので、その存在が意識された瞬間に作品の邪魔をすような、とても因果な商売なのです。(当然違った見識の演出家もおられます。)
見る人が自然に作品の世界観に引き込まれ、いつの間にか作品のメッセージが心に刻まれていくための手助け、それが理想的な編集だと僕は考えています。

言い方を変えれば『主役の足を引っ張らない』とでも言うのでしょうか、作品の主役を通じて演出家が裏で語る、というのが僕の美学なのです。
確かに見栄えのする絵だけを繋いでゆけば、それなりの作品にはなるでしょう。
ところが、そこに確固たる編集意図が無い場合、観客の心に残るメッセージは貧弱になりがちです。
多分、余計な情報を混ぜる事(情報過多)により、作品の主題が薄まるのでしょう。

それを防ぐために出来る事は、情報の取捨選択しかありません。
たよりは自分の素直な感情だけです。
その作品で何を語りたいのか?、どんな後味を残したいのか?
その選別を怠ると、その作品は決して優れたものにはならないのです。
無駄を省き、素材を生かすための工夫を凝らすという、 例えれば大吟醸や懐石料理のようなものかも知れません。
いずれにしても、手を抜けば手を抜いただけ、手間を掛ければ掛けただけのものになるのです。

自分の中でその作品に思い入れが無い(いわゆるお仕事モードの)場合、素材の善し悪しを決めるのが難しく、(単に過去の経験値に基づいただけの)客観的な価値観で物事を判断してしまいます。
そのような作品は、どこといってケチはつけられないけれども、もう1度見たいとは思えないものになりがちです。
しかしその逆の場合は、『人が何と言おうとこれがいいんだ』という主観が先に立つため、そこに計算を超えた説得力が生まれるのです。

今回の場合、僕の中では明らかに後者のそれに当てはまりました。
現場で1度深く感動していたお陰で、その後の様々な判断がとてもスムースでした。
クライアントの要望を踏まえつつも、目指す方向に迷いが無かったからでしょう。
潮目が複雑に変わっても、灯台の明かりはしっかり見えていたのです。

ただ、唯一悩んでしまったのがあのコラボレーションでした。
時間の制約がなければどうしても入れたかった部分なのですが、物事の優先順位を考えるとかなり難しいことでした。
そこで僕が苦肉の策として行ったのが、作品の最後にすべての映像をコラージュすることでした。

冬ソナのテーマ曲をベースに、2日間の出来事を再構築することで、ペ・ヨンジュン氏がこのイベントに込めたメッセージを、僕なりに凝縮してみたのです。
長年生業としてきたプロモーションビデオの製作経験が、ここでは役に立ったようです。

あの映像を見た観客がどう受け止めるのかはわかりませんが、僕の中では唯一自分の主観を主張できた部分でもあり、(誤解を恐れずに言わせてもらえれば)あそこをまとめることのみが、今回の僕の仕事だったような気さえしています。

たった数分感の映像ですが、すべての素材を丹念に見直す作業になるため、実は一番時間を要した部分でもありました。
ところが、その作業の中で僕はとても大きなものを見つけてしまったのです。

それは、家族の皆さんの表情でした。
たしかに平均年齢の高い観客層でした。
当初(失礼ながら)会場のスケール感を表す為の素材的な捉え方をしていた僕でしたが、長時間モニターで観客の皆さんを眺めているうちに、その喜びと慈愛に満ち溢れた表情が、僕が今まで接してきた若いアーティストのファン達と同じ位に、初々しく見えてきたのです。

それは僕の偽らざる感情でした。
綺麗事に聞こえるかも知れませんし、自分でも意外に思えたことなのですが、すぐに答えが出ました。

普段僕は人物の絵を選別する時、その人の目を見ます。
口は笑っていても、目は嘘をつけないからです。

そう、場内を埋め尽くした数万の女性の眼差しは、青春真っ盛りの娘達と何ら変わぬ輝きを持っていたのです。

多分、それぞれの女性の一番奇麗な表情のように思えました。
もしかしたら、旦那様にも普段見せない特別の笑顔なのかも知れません。(笑)
人生を積み上げて来られたこれだけの方々から、そんな可憐な表情を引き出す御仁の魅力には、今更の形容詞も空しく響くだけです。

『顔は年齢を重ねても、瞳は(当然魂も)年を取らないものだ。』

これに気づかされたことが、今回一番の収穫だったようです。



(おわり)



ーーーーー



生まれながらの筆無精者が、こともあろうにブログなんぞを始めてしまい、夜な夜なうなされる報いを受けております。
一人で誰もいない海に向かって叫んでいるうちは良かったのですが、ぎっしりと人で埋まったビーチでは、下を向いて小声で砂をいじるだけです。
次回からは、(いつになることやら)再び地味な個人ネタに戻りたいと思います。

家族の皆様方には、数多くの有り難いお言葉を頂戴し、望外の喜びを感じております。
ご縁があれば、いつの日か再びお会いできることを、心から楽しみにしております。





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