記憶
ようやく出口の見えた今年の猛暑ですが、体力的に辛い思い出と共に、多分これからも忘れられないような光景も、幾つか僕の記憶に焼き付けてくれました。

その一つが、夏の盛りに行なわれた(渡辺美里)さんのコンサートでした。

カメラマンとしては、とうに賞味期限の切れた僕ですが、そんな自分にも、節目節目に大事なカメラポジションを任せてくれるH氏は、20年来の友人であると共に、気の置けない仕事仲間でもあります。
僕と同様、ディレクター兼カメラマンでもある彼は、長年彼女の映像を担当しているのですが、毎年この時期になると、決まって僕に声をかけてくれるのです。

今年も恒例の屋外イベントに呼んでもらった僕は、これもいつも通りステージ前の異動カメラの担当でした。
若いカメラマン達には細かい注文を出す彼も、

「オナガは好きに撮ってくれたらいいよ。」

と、いつも有り難いことを言ってくれます。(言われても出来ないからかも?、、)

やがてリハーサルが始まり、ステージ上に美里(いつもこう呼んでいるので、お許しを!)が現れました。
1年振りの彼女は、目の前の僕と目が合うとニッコリと手を上げて、明るく挨拶をしてくれました。

実は、彼女のデビュー当時の映像ディレクターを担当していたのが、若き日の僕でした。(その頃の話については、後日触れようと思っています。)
しばらく間の空いた時期もありましたが、彼女とも四半世紀を超える長い付き合いになります。
言うなれば、毎年恒例の同窓会の趣きでしょうか。
シビアなリハーサルも、何処となくリラックスするような気がするので、H氏の狙いも本当はそこにあるような気もします。(笑)

その後、カメラマンを集めた最終ミーティングが、スタッフ楽屋で行なわれました。
そこでH氏は突然、皆に黙とうを願い出たのでした。
それは、先日亡くなったKカメラマンに対するものだったのです。
Kさんは僕同様(いや僕以上に)、美里のカメラマンの常連でした。
不慮の事故が無ければ、今年も間違いなくここで顔合わせができたはずです。
彼はこの業界の生き字引のような人で、いつも笑顔で現場を和ませてくれる、素晴らしい人物でした。
僕の初ディレクションである、矢沢永吉氏のP.Vカメラマンを務めてくれたのも、Kカメラマンだったのです。
右も左も分からないような新米ディレクターに対して、少しも偉ぶったところを見せずに、大きな現場を上手く仕切ってくれました。
多分業界の中で、彼のことを悪く言う人は一人もいないと思います。
その後も僕の作品に於いて要となる、大事な人でした。


美里祭りは大盛況のうちに進み、あっという間に最終番を迎えていました。
そして、定番化している彼女の最初の大ヒット曲【マイ・レボリューション】のイントロが始まりました。
この曲には特別の思い入れがある僕は、そのメロディが流れてくるだけで、いつも熱いものがこみ上げてくるのです。
多分この曲が、自分にとっての記念碑的な作品だからでしょう。

当時まだ高校生の美里は、並み外れた歌唱力と澄んだ瞳で、すでにスターのオーラを発していました。
(そんな逸材を、何の経験もない若造に託してくれたのですから、レコード会社も相当に太っ腹な、古き良き時代でした。)

この曲のプロモーションビデオは、産まれたばかりの赤ん坊の顔と、おばちゃんの笑顔で始まります。
熟慮したわけではないのですが、何となくその二つの絵が僕の頭に浮かんだのでした。
ロックアーティスト(まだJポップという呼び名のまだ無い頃)に、赤ちゃんとおばーちゃん?
なんて疑心暗鬼な僕でしたが、美里がそのオープニングをとても気にいってくれたのが嬉しく、その後の演出家としての自信に繋がったのは言うまでもありません。
駆け出しディレクターの、持てる力全てを込めて作ったこの曲の前では、長年業界で揉まれているうちにシタタカになってしまった僕も、自然とオセンチになってしまうのも仕方ありません。

この日もファインダー越しの彼女を眺めながら、色々な記憶が脳裏を横切っていたのでした。
美里も、少し涙ぐんでいるように見えました。
そして曲の後奏が終わったちょうどその時、彼女が観客席に向かってこう言ったのです。

「実は今、皆さんの一番前でカメラを撮ってくれているのは、この曲のビデオを作ってくれたオナガさんです。」

と、僕のことを紹介してくれたのです。

「こんなに長い間、私を撮ってくれてどうもありがとう」

会場のどよめきと沸き起こる拍手に、どうリアクションしたら良いのか分からなくなった僕は、ファインダーに目を付けたまま、小さく頷くのが精一杯でした。

後になって、客席を振り返らなくて失礼だったかなと反省もしたのですが、要はいい年こいて泣きそうな顔を一目にさらす勇気がなかっただけの話でした。

今年の夏も、こうして沢山の仲間達への感謝を再認識した次第です。




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番外編(夢の雫+)
前回のブログをアップした後、友人から次のようなメールが届きました。
彼がmixiに書いたものですが、【夢の雫】の詩に込められた彼の想いが描かれています。
友人の許諾を得た上で、原文のまま転載することにします。

ーーーーー


「25回目の夏」
8月16日猛暑の中、妻は50才の誕生日を迎えました。
結婚して25回目の夏です。

人生の半分を共に過ごしてきたわけですが、
これからの人生を共に経験するための試練を与えられ、
それを彼女が実行に移したのは今年の2月13日のことでした。

小雪ちらつく、とても寒い日の昼下がりに、彼女は脳幹出血で
倒れ、救急病院へ担ぎ込まれました。
脳幹出血というのは、80%が亡くなるので、私も当然覚悟しました。
いつ旅立っても見送れるようにと、病院に泊り込み、
妻をベッドサイドから見守っていました。
先生からも、この3日間が山場であると告げられていました。

私は人工呼吸器の装着はしない決断をしていました。
人工呼吸器は、装着し、回復出来た場合はずすことは出来ますが、
これをはずすことにより、生命維持が出来なくなると判断される場合は
死ぬまではずすことが出来なくなります。
ただの植物状態であっても、生かされた状態のままとなるわけです。
それは、呼吸器をはずすことが殺人罪となるからです。

このため私は呼吸器の装着は希望せず、自発呼吸が出来ることで
生きることに希望を託しました。しかし、たまに呼吸を止めることも
あり、その時私は手をとりながら「無理しなくていいよ。
先に往って、あちらで休んでいてもいいよ。しばらく待っていて
くれれば、そのうち俺も行ところだがら、どうせまた会えるよ。」
と声をかけました。無理を強要したくはなかったのです。
生きていてほしいですが、それはとても困難な道のりを選ぶこと
でもあると理解していました。

4日目の朝を迎えました。この時に何故か、ピンと「確信」とでも
言える感覚が私の中にやってきました。妻は生きるのだ、こいつは
「生きる」ことに決めたんだなと確信しました。

ちょうどこのころ、私はエリザベス・キューブラー・ロスの本を
読んだあとでした。妻も読み、よくこの本について話をしたり
することがありました。

この本は、いわゆる終末期患者の感情や、それをどう廻りが
対応していくべきか?要するに生きることと死ぬことについての
考え方や、向き合い方についての様々な例が載っている本でした。

その中に「やり残し」について書かれていることをすぐに
思い出しました。体はもうとっくに死んでいてもいいほど、弱って
いるのに、何故か生きている人たちの話がありました。
それは、今生でどうしてもやらなくてはならないことを、まだ経験
していないという場合によく起こるようです。

本の中の一例ですが、5歳のある少年は、親からプレゼントされた
自転車の補助輪がまだはずれていなくて、補助輪をはずした自転車に
乗りたいという気持ちから、それは起きていたのではないかという
話がかかれていました。末期状態の彼は、最期を自宅ですごすために
帰宅し、まずまっさきにガレージにある自転車をとりにいって、親に
補助輪をはずすように指示をして、二輪走行をしたというのです。
そして、まもなく、心置きなくこの世をおだやかに去っていくのです。

妻は息子たちの行く末を、まだこれから見守りたいという
強い気持ちがあると、そう感じました。
それなら、これはきっと彼女の場合は長く生きるはずです。
まだ結婚もしていない二人の、孫のことまで見届けるには
そうとうな生命力が必要ですが、彼女にはそれが出来るはずだと。

ということは、私もいつまでもメソメソしていられません。
経済的に支えなくては、すぐガソリンがなくなります(笑)
4日目の朝をむかえたときから、私は、病院での泊り込みを
息子たちにバトンタッチし、会社へ出社することにしました。

しかし、この半年、涙は止まることがありません。
私にとって、このように涙を流すのは50年ぶりのことだろうと
我ながら呆れておりますが、或る日、この「涙」は悲しい涙ではなく
未来へ続くためにあるのだという、そんな感覚を覚えました。

そして、そのことを、歌にして妻の50才の誕生日プレゼントに
しようと考えました。妻は、Locked in 症候群という状態で
聴こえているけど、それには答えられない、インプットは理解するが
アウトプットはまったくできない。一般的にみれば植物状態です。
しかし、聴こえている、理解しているはずであると信じています。
今の医学では、これを証明する方法はありません。

そこで、ただ言葉で話しかけるより、音楽にすることで
「これからも、共に生きていこう!」というシンプルな気持ちを
彼女の心の奥まで届くように、そんな歌をプレゼントしたい。
その決意を、50才の誕生日にお互いに宣言しようと考えました。

私が思い描いているイメージにぴったりの曲をあるアルバムの中に
見つけました。塩入俊哉さんのピアノ曲です。
これだ!と感じて、すぐに詩を書き始め、それはスムーズに書きあがり
ました。伝えたいことを、分かりやすく妻にむけて書きました。
50才になって面と向かって書くラブソングなど、普通はこっぱずかしく
出来ることではありませんが、私はやるしかありませんでした。
なりふり構っていられないのです。

しかし、さすがに歌は歌えません(笑)

歌がへたくそでは、すべての計画は意味をなしません。
何より、ちゃんと歌が歌える人がいなくては、この計画は成立
しないのです。

この詩を書いている途中、私はある歌手をイメージ設定して
書きはじめました。その設定は、詩を書きながしっくり心にはまり
結果はどうあれ、そのつもりで書き上げました。

その歌手は白井貴子さんでした。
何故か彼女のイメージが湧いてきて、言葉も彼女であるなら
こんな言葉でもいけるな!とか、そんなイメージで書き上げました。
歌詞としては「僕」から「君」への歌で、何故、貴子さんだったのか?
それは、彼女のもっているティンカーベルのような、
野生のマーガレットのような、そんなイメージが、
私の中でしっくり来たからでしょう。

1年4ヶ月ぶりの日記は、ずいぶん長いものになりました。
そんな曲をつくって、無事に妻にとどけることが出来ました。

今回はきっとすばらしいものになると思い、白井さんと塩入さんの
音楽的な記録として映像をとっておき、そのレコーディング風景を
妻へのプレゼントとしようと思っていました。
しかし結果としては、当初の私の想像と違ったものになりました。
が、妻へ気持ちを伝えるプライベートな映像としては
とても素晴らしいもになったのだと思います。

これは妻にむけてつくっただけのものですが、映像記録をとって
くれていた友人が、同じ境遇の人々へも見てもらったほうが
いいでしょうと、自分のブログとYou Tubeで紹介してくれました。

確かにたった半年の間にも、さまざまな壁がありました。
押しつぶされそうな気持ちをかかえながらも、保険制度や
病院の転院など現実への対応へ追われ、同じ問題をかかえている
人たちはどれほど多くいるのであろう?いったい皆は、この苦境を
どうやって乗り越えているのだろう?といつも考えていました。

長妻厚生労働大臣にも、2回メールしてみたりしましたが、
2回とも同じ定型文でのメール返信が数日後にやってくるだけです。
これならば、自動返信で定型文にすればいいのにと思いながら(笑)
3回以上メールしても意味はないと、やめました。

身体障害者手帳の受付ルールや、障害年金の承認規定など、
不思議な決まりがあり、脳幹出血で倒れたケースの人には不利
だと思われる、厳しい壁がもうけられています。
我々が苦しい時には助けてもらえません。
ある一定期間を自力で切り抜けらた人が、たどり着ける
援助体制となっています。

しかし、今の国家予算と政治状況では、まだまだ
そんな細かいところまでのケアーは出来そうにありません。

昨日8/27に3つ目の病院へ無事転院しました。
年内にあと2〜3回転院をすることになります。
しばらく、じっと踏ん張ってやっていこうと思っています。

ーーーーー


【夢の雫】は下記のURLから
http://www.youtube.com/watch?v=LkroQujetQk

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