もう一つの再会+
編集作業中の僕は、二重人格者になります。
二つの相反する感性が喧嘩をしながら、少しづつ映像を編み込んでいきます。
例えば、素材の中から心動かされる何かを見つけたとしましょう。
光の僕が 「いいね〜、感動的だわ!」と唸ります。
すると、 「それイマイチかもよ?」 と、冷笑する闇の僕のお出ましです。
それを無視した光の僕は、黙々と作業を続けます。
ある程度進んだところで、光が弱くなってきます。
心細くなり、闇に小声で相談するのです。
「どうよ、これ?」
「・・・」 ノーリアクションの闇
実際に一人でブツブツ言ってたら本当に危ない人ですが、このような自問自答の繰り返しが編集作業というものなのです。

さてもこのように難儀な商売ではありますが、この底意地の悪い相手をギャフンと言わせた後の快感はまた格別で、選りすぐりの素材たちは僕の中で腰の座った作品に昇華しているのです。
その後、最も厳しい世間様のお白州でのお裁きが待ち構えているわけですが、こちらの手を離れてしまえば、もはやジタバタすることはありません。(開き直りとも呼ばれる。)
そろそろ本題に入りましょう。

2曲めのテーマはペ・ヨンジュン氏と家族の関係を表現することと相成りました。
本編のコラージュ部分では、彼のこのイベントに込めたメッセージを表現することに主軸を置いていたのに対し、この特典映像では彼と家族の皆さんとの情愛をキッチリ描いておくべきだと僕は考えたのです。

過去に幾度か書いたりお話したことですが、今回のプロジェクトから僕が学んだ最大級の収穫は「瞳はけっして歳を取らないものだ。」という結論でした。
仮に一過性の思い込みによって僕がそのように口走ってしまったのであれば、(口説き文句としては上等でしょうが)いざそれが作品となって一人歩きを始めた途端、世間様から強烈なバッシングを食らうのは当然予想されることであります。
ある人物に心酔した人間の表情には、年齢を超越した美しさがあると、堂々と言い放った僕ではありましたが、時を経て冷静になった今、果たして同じように素直にそう思えるのか、僕の横ではもう一人の僕がニコニコ顔で待ち構えているのでありました。

深呼吸の後、背筋を伸ばし、約半年ぶりに素材のプレビューを開始した僕は、まんじりともせず観客の表情を見つめ続けました。
しばらくして軽い溜息をつき、こう独り言を呟いたのでした。 「やっぱイケるじゃん!」 そう、やはり僕の勘違い(失礼)ではありませんでした。
観客席の皆さんは、僕の記憶通りとびきりの笑顔で写っておられました。
そりゃあ全員が女優並みとはいきませんけれど、(何だか自分がきみまろ氏に思えてきました。)それぞれの方々の最高の表情を見せてくれていたのです。
その輝くような表情は、本当に年代を越えた美しい景色でした。
特に、会場中の全員でポジャギを振る場面は圧巻で、その様は野に咲く黄色い花畑のようでした。
その大きな愛情を一身に受けるぺ・ヨンジュン氏も、透き通るような静かな笑顔で佇んでおられるのが印象的でした。

(またもや怒られてしまいそうですが)ヨンジュン氏にとって、もしかしてこのような光景はもはや見慣れたものなのかもしれません。
彼の行く先々(もちろん日本以外でも)で大歓迎を受けるのは予想に難くありませんし、それが彼の日常であるならば、(万が一)その感覚が徐々に麻痺していったとしても、それを責める権利は誰にもないのです。
自省を込めて申すならば、僕ら映像屋は往々にして観客数をマス映像として捉えがちです。 どれだけ大勢のの人間がそこに集まったのか、どれほど盛り上がったのかを強調するが為に、大勢の観客を単なる形としかみなさず、個人個人の思い入れをくみ取る作業がついおろそかになりがちなのは、過去の自分を思い出すまでもありません。

まあ、彼のような人物ですから、そのような心配は無用だとは思いますが、そうであってもなくても、彼にはこの映像を見てあるものを感じてもらいたいと、僕は切に願うのです。
それは、きっとお年を召した家族の皆様に見えているものがそうであるように、年月を重ねたからこそ見えてくる掛け替えのない何かがそこにあると、僕は確信するからです。

スターの誰もがそうであるように、彼にもいつの日か落ち着いた日々が訪れることでしょう。
その時に改めて自身に寄せられた愛情の大きさ深さを再認識し、己れの人生の素晴らしさに心温めてもらいたいと願わずにはいられません。(余計なお世話でしょうが、これは僕の偽らざる心境です。)
あの日あの場所に集った方々の情念は、単なる人気者を讃える一過性の盛り上がりでなかったこと、それが通りすがりの者にも伝わるような強い念であったことを、彼には是非とも記憶しておいて欲しいと、そんな気持ちを込めて僕はこの映像をこしらえたのです。

この映像に相応しい音のポジャギとして僕が選んだのは、MASAKIさんの"Banksia"という曲でした。
優しく穏やかに包み込むような旋律は、幾度繰り返しても聴き飽きることがなく、僕にはどうしても、ぺ・ヨンジュン氏を見守る家族の皆さんの存在と重なって思えてくるのでしたが、念のために曲の解説を読んでみると、
「バンクシアは、花としての自分の美しさより、必死で生き残り、自分の命を削りながら他のものに命を与えている。そう思ってみると、この滑稽でみんなが相手にしないような花が本当に美しく、優しい花に見えました。」
そう書かれてあったのです。

またしても幸運な出会いにより、この作品も新たな命を得ることになりました。
単なる特典映像ではない、別の解釈の作品という意味で、僕は"ももいろの潮風"と"Banksia"この2つの括りを"もう一つの再会"と名付けました。

そして僕に残された最後の大仕事、それはエンドロールでした。
ここは、ほとんど方々があまり重要視しておられないパートだと思います。
特に映像も付かず、ただ関係者の名前が延々と流れるだけですから、退屈に思われて当然の日陰者の部分ではあります。
ところが、ここはその作品に携わった多くのスタッフの情熱の結晶の場でもあるのです。
主役、準主役から脇役、そして裏方へと、様々な職種の人達がそこには登場します。
ここに名前の出るような方々は、各々の道を極めた人達であり、1本の作品とは彼等のたゆまぬ努力の成果でもあるのです。
ここをおろそかにすることは、その作品をないがしろにする行為に他ならないと僕は考えます。
映画を見る場合でも個人的にとても好きな部分で、感動的な作品に出会えた時は大概、エンドロールを見ながら涙を流してしまいます。
それは、それだけ多くの人たちの思いでその作品が出来上がっていること、その人達の生き様がそこに結集していることに圧倒的な感動を覚えるからです。

僕はこの聖地のような場所に相応しいBGMを、最初から決めていました。
その曲は穏やかで優しく、シンプルでかつダイナミックな、まさにこの映画にうってつけの作品でした。
そしてそれは、この映画の主人公の生き方や夢を、そして家族の方々を含め、彼を取り巻く多くの人々の愛情をも反映しているように思われたからです。
案の定、ここはどんな大作映画にも引けを取らない、重厚なエンディングになりました。 無機質な文字の流れが、彼等の人生模様のように僕には思えてきました。

そしてこの曲のタイトルは"大切な人"
もう僕に付け加える言葉は残っていません。
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