【歌旅】に想う
中島みゆきさんの【歌旅】劇場版が公開されました。
驚く程大勢の方々がご覧になって下さったことに、まずは関係者の一人として深く御礼申し上げます。
この作品を手掛けさせて頂いてから、いつしか5年もの歳月が流れてしまいました。
こうした形で改めて世間にお披露目できる機会を得たことは、演出家冥利に尽きる出来事です。
音楽映像というジャンルは一種独特で、この世界に身を投じてみなければ分からない事だらけです。
前々回のブログではプロモーションビデオの世界について書いてみましたが、今回はライブビデオについて軽く触れてみることにしましょう。

皆さんは、TVの音楽番組を何気なく目になさっていらっしゃることでしょうが、この映画のようなライブ映像も古くから存在します。(ウッドストックとかLast Waltzが有名でしょうか?)
一見すると同じように見える両者ですが、実は微妙な違いがあるのです。
収録や制作時間に制限のあるTVプログラムは、とても効率的で優れたノウハウの固まりです。
わかり易く説明するために、架空の生放送の音楽番組をシュミレートしてみましょう。

担当ディレクターは、事前に受け取った出演者の楽曲を聴きながら、台本に書かれた歌詞をなぞります。
そして彼のイメージしたカメラワークを、台本上に書き込みます。
{Aメロで、正面カメラがゆっくりとアーティストに近づく}{Bメロでは、サイドカメラが横顔アップからバストショットまでズームバック}{Cメロになり、頭上を動くリモートカメラにバトンタッチ等々。}
手慣れたカメラマンであれな、余程のことでも起こらない限り、この指示書通りのカメラワークを忠実に再現してくれることでしょう。
事程左様に、照明や音声スタッフ出演者が一致団結して、ディレクターの作った台本に沿った動きを見せてくれるのです。
結果、視聴者は安心して生番組を見ることができるという寸法です。
全てが洗練されていて素晴らしいやり方です。
秒刻みに多彩な番組がプログラムされた放送局では、このような収録方法以外の選択肢は考えられません。

それではTVの音楽番組と、この映画で撮られたようなライブ映像の違いとはいったい何なのでしょう?
それは、上記のような"決め事の有り無し"です。
様々な制約のあるTV音楽番組の収録において、カメラマンが心がけなくてはならないのはシナリオに沿ったカメラワークです。
マルチカメラで撮る場合には特にこれが重要で、もし1台のカメラが勝手な行動を取ってしまうと、全体のバランスが一気に崩れてしまいます。
チームワークが要の現場では、時としてこれが致命傷にもなりかねません。
一方、ライブビデオの収録現場では比較的その縛りが少なく、カメラマンは自由に被写体と向き合うことができるのです。
(もちろんケースバイケースで、あくまでもその傾向があるという意味です。)
僕はTVの仕事が少ないので、基本的にはこの収録法を用いますが、そこで問われてくるのがカメラマンの感性です。

よく言われるように、ライブは生き物です。
インディーズカメラマン上がりの僕は、常に肌で音楽を感じて来ました。
下手くそなバンドの時にはお客さんはシラけ、上手いバンドには興奮をぶつけます。
アーティスト達も、観客のノリを目の当たりにして、傷ついたり高揚したりするのです。
それは会場の大小に依らず、基本的に変わらないものです。
つまり、コンサート映像とは単なるエンターテイメントにとどまらず、その日その場所のアーティストと観客の感情のやり取りが記録される、ドキュメンタリーそのものなのです。

TVの収録法に慣れ親しんだカメラマンと仕事をご一緒する場合に、稀にではありますが困ったことが起こります。
スタジオでの癖が抜けないのか、彼らの切り取る絵に落ち着きがないことが多いのです。
当然、良かれと思ってやってくれてはいるのでしょうが、(絵数を増やそうと)いつものノリでカメラを頻繁に動かしてしまうのです。
Aメロでワイドだったから、Bメロではもっと寄ったり、もしくは4小節ごとに素早くサイズを変えたりするのです。
無論、それはそれで都合の良い場合もあるのですが、判りやすいリズムで頻繁に構図の変わる映像は、見ているうちに次第に飽きてしまうものです。
一見すると、それが音楽に合っているようにも思えるのですが、こういう場合のカメラマンは大概曲を聴いていないものです。
よしんば曲を聴いていたとしても、詩の世界までは気が回っていないことが多いのです。
気持ちが入らず頭だけで撮るのと、曲を聴きながら感情移入して撮るのとでは、同じ映像でも似て非なるものになります。
前者の場合は実際に使える箇所が断片的になるのに対し、後者では長い時間見ていられる力のある映像になるのです。
”感情を伴った映像は、見る者に必ず伝わる。”
僕はそう強く信じています。

なんて説明はしたものの、正直一般の方々にはピンとは来ないでしょうし、僕自身長年経験を重ねたお陰でようやく分かるようになった感覚です。
けれども、実はこの違いは見る人が1番感じているのです。
皆さんは過去に音楽番組やライブ映像をご覧になった時に、
「もう少し長く見ていたかったのに、何でここでカットを切り替えるんだ。」とか、「どの曲も同じような編集だな。」なんて感じたことはありませんか?
もし、そういう感想を持たれたのだとしたら、その作品はノウハウで作られたものかも知れません。
つまり、このサイズの後にはこのサイズ、このアングルの次にはここからのアングルといった風に、形から入った作り方をしているのです。
これは、自戒を込めてお話しすることで、映像のベテランであればある程陥り易い落とし穴なのです。
このノウハウ優先の考え方が危険なのは、往々にして見る側の心情を軽んじてしまうところにあります。
つまり、これが経験上ベストだからという、多分に保守的な考え方が根本にあるからです。
カメラマンやディレクターがこの妄想に取り憑かれている限り、枠から飛び出す作品は期待出来ません。
感動とは、決してノウハウからは生まれないものです。
決まり事を排除した後に舞い降りて来るものだということを、僕は過去の多くの経験から学びました。
勿論、ノウハウを否定しているのではなく、その先を諦めてはいけないということです。

TVの音楽番組とパッケージとして発売される作品のもう一つの違いは、見られる回数にもあります。
あくまでも一過性のものとして作られるTVプログラムは、わかり易さにこだわります。
ボーカル中心の絵作りに、鳴っている楽器の映像がインサートされるのが基本です。
それに対し、販売される音楽作品では何回も繰り返し鑑賞されるのが前提です。
そのため、作り手は幾度も試行錯誤を重ねながら、作品の弱点を探し出す必要があるのです。
自分のその時の感覚を過信せず、幾度もトライアンドエラーを繰り返します。
たとえギターソロになったとしても、必ずしも小節の頭で絵を切り替える必要はありませんし、(乱暴に言ってしまえば)その時点で1番心引かれる絵にすれば良いのです。
そして最終的に迷いのなくなった編集点の積み重ねが、初めて人様に見せられる作品となるのだと、僕はそう考えて仕事をしています。
何れにしても、そのアーティストを好きなことを再確認させてくれたり、更なる魅力を感じさせてくれるのが、音楽映像に課せられた使命なのではないでしょうか。

すっかり前置きが長くなってしまいました。(いつもの悪い癖ですので、お許しを!)
【歌旅】ビデオ収録のため、東京国際フォーラムに顔を揃えてくれたのは、こちらもカメラマンに半生を捧げてきた、百戦錬磨の強者達でした。
皆、こちらの注文に的確に応えてくれる卓越したテクニックを持ち合わせているのは勿論ですが、個人的な感性でも自由に撮ることの出来る、真の意味でのプロフェッショナル揃いです。
長年の共同作業で得た、彼等に対する僕の信頼感は並大抵のものではないのですが、最終打ち合わせの場で
「余計なことは考えなくても、自然に撮らされるから!」
と、僕は一言だけ付け加えさせてもらいました。
コンサートが始まってすぐに、彼らも”撮らされる”の意味が分かったようで、緊張感がみなぎる中にも、それぞれが自由奔放なカメラワークを見せてくれたのです。
優れたミュージシャンが、手元を見ずに素晴らしい旋律を奏でるように、その道を極めた人間には感情の赴くままに、その人の道具を使った深い表現が可能なのでしょう。
ベテランの絵描きに広大なキャンバスを用意した後は、横からゴチャゴチャ言わず、ただ静かに見守ることがベストだということを、幸い僕は知っています。
中島みゆきという、この上ないアーティストを前に、彼等のモチベーションが何処まで高まるのか、僕はその様子を観客の一人として見守るだけでした。

2日間の収録の結果、僕のディレクター人生で最高の収録素材を得ることとなりました。
最高というのは、どこからでも、どれだけでも使えるという意味です。
極上の材料を手に入れた僕は、それから数ヶ月の間、心おきなく編集作業に没頭しました。
楽曲を聞きながら、そのメロディーや歌詞に最も相応しい映像を選び、幾度も吟味しながら組み上げてゆきます。
数カットつなぎ終える度に1曲目からのプレビューを繰り返し、その都度全体の流れを俯瞰から見直すことを心がけました。
この作品において僕が心がけたのは、あくまでも観客の目線でした。
けっして奇をてらった編集ではなく、アーティストと共に会場に居合わせような、そんな空気感を大切にしたかったのです。
コンサート会場にいらっしゃった観客の皆さんが味われたであろう凄まじい感動を、そうでない他の方々に余すことなく伝える能力は、残念ながら僕にはありません。
せめてものお役目があるとすれば、この歴史的なコンサートの模様を、いかに劣化を最小限に止めたまま後世に残せるかだけでした。

長時間の作業中に思いが至ったのは、アーティストとしての”中島みゆき”もさることながら、彼女の周りのミュージシャンや舞台スタッフ達の存在感でした。
表に出る人出ない人、ジャンルは異なれども、各々が自らに課した高い山を登り詰めた達人達です。
彼らがそのキャリアの全てを捧げ、一人のアーティストを支え、輝かせて、完成させたのが【歌旅】という、音楽ドキュメントなのだという思いが、日に日に増してゆきました。
『この方たちの足を引っ張ることだけは、何としても避けなければ。』
常にこの思いを脇に置き、僕はこの作品を仕上げました。

アーティストの器に比べ、誠に力足らずで心苦しさ満杯ではありますが、僕を含めた映像チームが、どのような思いで作品に携わったのかだけは、是非とも残しておこうと思った次第です。

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