心境の変化
この音楽映像業界のディレクター達は、まさに十人十色の経歴を持っていて、僕の知る限りにおいてもCM畑やデザイナー出身、あるいは映画カメラマンの助手だったりします。
僕はといえば元々アングラ写真家なので、それぞれの作風が違って当たり前、まさに百花繚乱のにぎやかな世界なのです。

P.V(プロモーションビデオ)というジャンルがCM(コマーシャル)や映画とは根本的に異なる理由は、その生い立ちにあります。
シングルレコードの販売促進のために作られたP.Vは、当初レコードショップ等の客寄せに使われ、折からのMTVブームにより世界中の若者を中心に支持が広がり、現在のような市民権を得るに至ったのです。
販促映像の代表格であるCMと似て非なる点は、その長さにあります。
CMが極端に短い長さ(主に15秒)に情報を凝縮するのに対し、P.Vは平均して5~6分ある楽曲の長さに合わせて作られます。
その内容は娯楽性を帯びたものがほとんどですが、作品の多くがアーティストや楽曲を引き立たせるためにあるところが、エンターテイメントの王者である映画とも大きく異なる部分です。
映画が小説だとすると、CMは俳句、P.Vは詩のようなものでしょうか。
僕のいるP.Vの世界は、CMや映画並の予算も時間も与えられない(もちろん例外あり)、ある意味中途半端な存在とも言えましょう。
しかしながら、考えようによってはこれほど面白い世界もありません。
そこにはスーツを着たお偉方の姿もなければ、子細に書き込まれた企画書もありません。(少なくとも僕の現場においては)
問われるのはディレクターの想像力のみです。
楽曲を聴いた時に感じた何かを表現しようと、僕を含めたディレクター諸氏は楽しく七転八倒するのです。

僕の過去のP.V作品は、大抵イメージ映像が主役でした。
このブログの始めの頃に書いたように、僕はヘンテコなご縁でこの世界に紛れ込みました。
アングラロックの強烈な洗礼で受けたトラウマは、今なお僕のひねくれた美感に影響を及ぼしています。
与えられた音楽作品に、誰も思いつかないような発想で新たな命を吹き込みたい。
そんな理想を追ってきた僕には、勢いイメージ先行の癖がついていたようです。
イメージ映像とは、一体何なのでしょう?
たとえば遠い記憶のようなもの、もしくは夢を見ている時の絵に近いのかも知れません。
もし、音楽に添える映像がただ歌詞をなぞっただけのものであったとしたら、それは単なるカラオケ映像になってしまいます。
”夢か現か幻か”これが僕の最も理想とする映像作りでした。

昨年の後半、とても難しい仕事の依頼を受けました。
それは、ここ何年も御一緒させて頂いている女性アーティストの新曲P.Vでした。
この曲は、そうそうたるメンバーでキャスティングされた、ある民放TVドラマのエンディングソングでもありました。
吟味され尽くしたその言葉一つ一つには、弱いものを思いやる温かな血が通っていて、しかも力強さに満ち溢れています。
この曲を最初に聴きながら、僕は1人の友人の言葉を思い出していました。
彼は最近病気のお父上を亡くされ、その追悼ビデオを作っているところでした。
そんな彼が、あるとき僕にこう話してくれたのです。

『翁長さん、家族の幸せのピークって意外と短いもんなんですよ。』

以来、その言葉が僕の頭から離れることはありませんでした。
壮大なタイアップ態勢をとられているこの曲を聴く時、おそらく大多数のリスナーはTVドラマのシーンを思い浮かべることでしょう。
しかし、そんな大きな世界とはかけ離れた、足元のささやかな幸せについて語れないものかと考えた僕は、慣れない場面設定に難儀しながらも1本の話をこさえてみました。
それまでの空想型の人間が一転、多少なりともリアリティのある表現をしてみたくなったのです。

幸いなことに、アーティストご本人に快諾してもらえたシナリオは、前作までとは違ったテイストのものになりました。

僕の撮影現場では、細かな演技指導はほとんど行いません。
撮りたい状況を字コンテや口頭で説明した後は、すべて役者さんにお任せします。
頼る術は自分の正直な感情のみで、物語が自然に見えればそれで十分なのです。
伝わってくるものが僕の求めている水準に達していればOKですし、そうでない場合はこちらの伝え方を修正するのです。
いくら綺麗な絵であっても、見ていて不自然さを感じてしまえば、それが僕自身の感情移入の妨げになってしまうからです。
要するに、僕はファインダー越しに彼らの芝居を鑑賞するだけでした。
今回、そんな素人監督に大きな力を貸してくれたのが、才能あふれる役者の皆さんでした。
僕の大雑把なシナリオに、彼らはきめ細やかな表現で応えてくれました。
以前(影の主役達)でも書いたことですが、さすが餅は餅屋です。
それぞれの深い解釈で見せてくれた世界は、僕の貧弱な想像をヒョイと飛び越え、骨格だけの体に血肉をつけ、心を入れてくれたのです。
仮編集を見たアーティストは

『骨太ですねー!』

とご満悦の様子で、1発OKを出してくれました。

『芝居って面白いな。』

井の中の蛙が外の世界を教えてもらった、とても大きな出来事でした。



興味を持たれた方は、1度ご覧ください。
(http://www.youtube.com/watch?v=ia1HWtcQLwQ&ob=av2e)








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心の岩盤浴
前回登場したMASAKIさんのコンサートに行って来ました。
気持ちの萎縮してしまいそうな冷たい雨の中、すでに大勢の方々が集まっておられました。
老若男女のお客さんで満員のホールでしたが、皆さんの喜々としたご様子の訳は、主催者が振る舞っていたワインにもあったようです。
とても珍しい赤のスパークリングワインの美味しさは格別で、そこをパーティー会場のように思わせてくれた主催者の思惑に、僕もまんまとハマってしまったようです。

やがてピアノとチェロの奏者と共に現れたMASAKIさんは、いつもと変わらぬ笑みを浮かべ、静かに演奏会をスタートさせました。
リラックスした観客席に波長を合わせるかのような彼の演奏は、決してテクニックをひけらかすものではありません。
観客席を見渡しながら、たおやかに時に激しく弦を操ります。
曲の合間には、作品のタイトルやその込められた思いを、少々言葉足らずの日本語で語りかけてくれます。
僕はクラシックコンサートでは大概眠くなるのですが、ここでは不思議にそうはなりません。
あっという間に前半が終了してしまい、自分の顔に異常を感じた僕は、そこではっと我に返りました。
1時間近くずっと微笑んでいたのでしょう、表情筋が疲れていたのです。

普段一人きりの時間が多い僕は、悲しくも無表情生活者です。
ちりも積もれば何とやらで、いつのまにか小難しい男に見られるようになってしまいました。
周りを見渡すと、ワイングラスを片手に楽しそうに会話を交わす人々でごった返しています。
(恐らく)いつもは僕と同様であろう紳士方の和やかな笑顔は、ここが熱海あたりの宴会場じゃないかと錯覚させるほどでした。

後半が始まり、新たなアレンジをまとった馴染みの曲達は、僕の顔を更に弛緩してくれるのでした。
MASAKIさんの真正面に陣取っておられるご婦人方の、余にも楽しげなご様子に圧倒された僕は、それをどこかで見たような気がしてなりませんでした。
そう、ペ・ヨンジュン氏のイベントで目にした光景が、そこに再現されていたのです。
しかも、あの場では見ることの出来なかった、紳士方のご満悦のお姿まで添えて。

長年音楽の仕事に浸かりながら、こんな絵に描いたような幸せな現場には、なかなか立ち会う事は叶いませんでした。
プロなんだから上手いのは当たり前、その向こうに何を見せてくれるのかが重要なのです。
メロディーを奏でるアーティストの想いが伝わらなければ、それはただの見せ物でしかありません。
凝り固まった人々の表情と心(元は一緒)を優しく解きほぐしてくれる、そんなアーティストを僕も待ち望んでいました。

オリジナルの表情にすっかり慣れた僕は、贅沢な時間を賞味しながら、こう思っていました。

『みんなで温泉に浸かってるみたいだ。』

芸術は人を感動させる為にある。そう確信した夜でありました。

















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もう一つの再会+
編集作業中の僕は、二重人格者になります。
二つの相反する感性が喧嘩をしながら、少しづつ映像を編み込んでいきます。
例えば、素材の中から心動かされる何かを見つけたとしましょう。
光の僕が 「いいね〜、感動的だわ!」と唸ります。
すると、 「それイマイチかもよ?」 と、冷笑する闇の僕のお出ましです。
それを無視した光の僕は、黙々と作業を続けます。
ある程度進んだところで、光が弱くなってきます。
心細くなり、闇に小声で相談するのです。
「どうよ、これ?」
「・・・」 ノーリアクションの闇
実際に一人でブツブツ言ってたら本当に危ない人ですが、このような自問自答の繰り返しが編集作業というものなのです。

さてもこのように難儀な商売ではありますが、この底意地の悪い相手をギャフンと言わせた後の快感はまた格別で、選りすぐりの素材たちは僕の中で腰の座った作品に昇華しているのです。
その後、最も厳しい世間様のお白州でのお裁きが待ち構えているわけですが、こちらの手を離れてしまえば、もはやジタバタすることはありません。(開き直りとも呼ばれる。)
そろそろ本題に入りましょう。

2曲めのテーマはペ・ヨンジュン氏と家族の関係を表現することと相成りました。
本編のコラージュ部分では、彼のこのイベントに込めたメッセージを表現することに主軸を置いていたのに対し、この特典映像では彼と家族の皆さんとの情愛をキッチリ描いておくべきだと僕は考えたのです。

過去に幾度か書いたりお話したことですが、今回のプロジェクトから僕が学んだ最大級の収穫は「瞳はけっして歳を取らないものだ。」という結論でした。
仮に一過性の思い込みによって僕がそのように口走ってしまったのであれば、(口説き文句としては上等でしょうが)いざそれが作品となって一人歩きを始めた途端、世間様から強烈なバッシングを食らうのは当然予想されることであります。
ある人物に心酔した人間の表情には、年齢を超越した美しさがあると、堂々と言い放った僕ではありましたが、時を経て冷静になった今、果たして同じように素直にそう思えるのか、僕の横ではもう一人の僕がニコニコ顔で待ち構えているのでありました。

深呼吸の後、背筋を伸ばし、約半年ぶりに素材のプレビューを開始した僕は、まんじりともせず観客の表情を見つめ続けました。
しばらくして軽い溜息をつき、こう独り言を呟いたのでした。 「やっぱイケるじゃん!」 そう、やはり僕の勘違い(失礼)ではありませんでした。
観客席の皆さんは、僕の記憶通りとびきりの笑顔で写っておられました。
そりゃあ全員が女優並みとはいきませんけれど、(何だか自分がきみまろ氏に思えてきました。)それぞれの方々の最高の表情を見せてくれていたのです。
その輝くような表情は、本当に年代を越えた美しい景色でした。
特に、会場中の全員でポジャギを振る場面は圧巻で、その様は野に咲く黄色い花畑のようでした。
その大きな愛情を一身に受けるぺ・ヨンジュン氏も、透き通るような静かな笑顔で佇んでおられるのが印象的でした。

(またもや怒られてしまいそうですが)ヨンジュン氏にとって、もしかしてこのような光景はもはや見慣れたものなのかもしれません。
彼の行く先々(もちろん日本以外でも)で大歓迎を受けるのは予想に難くありませんし、それが彼の日常であるならば、(万が一)その感覚が徐々に麻痺していったとしても、それを責める権利は誰にもないのです。
自省を込めて申すならば、僕ら映像屋は往々にして観客数をマス映像として捉えがちです。 どれだけ大勢のの人間がそこに集まったのか、どれほど盛り上がったのかを強調するが為に、大勢の観客を単なる形としかみなさず、個人個人の思い入れをくみ取る作業がついおろそかになりがちなのは、過去の自分を思い出すまでもありません。

まあ、彼のような人物ですから、そのような心配は無用だとは思いますが、そうであってもなくても、彼にはこの映像を見てあるものを感じてもらいたいと、僕は切に願うのです。
それは、きっとお年を召した家族の皆様に見えているものがそうであるように、年月を重ねたからこそ見えてくる掛け替えのない何かがそこにあると、僕は確信するからです。

スターの誰もがそうであるように、彼にもいつの日か落ち着いた日々が訪れることでしょう。
その時に改めて自身に寄せられた愛情の大きさ深さを再認識し、己れの人生の素晴らしさに心温めてもらいたいと願わずにはいられません。(余計なお世話でしょうが、これは僕の偽らざる心境です。)
あの日あの場所に集った方々の情念は、単なる人気者を讃える一過性の盛り上がりでなかったこと、それが通りすがりの者にも伝わるような強い念であったことを、彼には是非とも記憶しておいて欲しいと、そんな気持ちを込めて僕はこの映像をこしらえたのです。

この映像に相応しい音のポジャギとして僕が選んだのは、MASAKIさんの"Banksia"という曲でした。
優しく穏やかに包み込むような旋律は、幾度繰り返しても聴き飽きることがなく、僕にはどうしても、ぺ・ヨンジュン氏を見守る家族の皆さんの存在と重なって思えてくるのでしたが、念のために曲の解説を読んでみると、
「バンクシアは、花としての自分の美しさより、必死で生き残り、自分の命を削りながら他のものに命を与えている。そう思ってみると、この滑稽でみんなが相手にしないような花が本当に美しく、優しい花に見えました。」
そう書かれてあったのです。

またしても幸運な出会いにより、この作品も新たな命を得ることになりました。
単なる特典映像ではない、別の解釈の作品という意味で、僕は"ももいろの潮風"と"Banksia"この2つの括りを"もう一つの再会"と名付けました。

そして僕に残された最後の大仕事、それはエンドロールでした。
ここは、ほとんど方々があまり重要視しておられないパートだと思います。
特に映像も付かず、ただ関係者の名前が延々と流れるだけですから、退屈に思われて当然の日陰者の部分ではあります。
ところが、ここはその作品に携わった多くのスタッフの情熱の結晶の場でもあるのです。
主役、準主役から脇役、そして裏方へと、様々な職種の人達がそこには登場します。
ここに名前の出るような方々は、各々の道を極めた人達であり、1本の作品とは彼等のたゆまぬ努力の成果でもあるのです。
ここをおろそかにすることは、その作品をないがしろにする行為に他ならないと僕は考えます。
映画を見る場合でも個人的にとても好きな部分で、感動的な作品に出会えた時は大概、エンドロールを見ながら涙を流してしまいます。
それは、それだけ多くの人たちの思いでその作品が出来上がっていること、その人達の生き様がそこに結集していることに圧倒的な感動を覚えるからです。

僕はこの聖地のような場所に相応しいBGMを、最初から決めていました。
その曲は穏やかで優しく、シンプルでかつダイナミックな、まさにこの映画にうってつけの作品でした。
そしてそれは、この映画の主人公の生き方や夢を、そして家族の方々を含め、彼を取り巻く多くの人々の愛情をも反映しているように思われたからです。
案の定、ここはどんな大作映画にも引けを取らない、重厚なエンディングになりました。 無機質な文字の流れが、彼等の人生模様のように僕には思えてきました。

そしてこの曲のタイトルは"大切な人"
もう僕に付け加える言葉は残っていません。
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もう一つの再会
さて、ひとりのアーティストのお力を拝借することで、ようやく長いトンネルを抜け出せた僕でしたが、とっておきの3曲の中でも"ももいろの潮風"には特に強く惹かれていました。
この曲を初めて聴いた時、僕は確かに青春時代の懐かしい感覚に引き戻されたのでした。
そのタイトル通り、甘酸っぱく切ない感情で満たされたこの曲の使い所はと言うと、それは当然あの美しい場面しか僕には思い浮かびませんでした。
そう、冬ソナの2人の再会する名場面は、ドラマを見ていなかった僕のような無粋な男にさえ、大きな感動を与えてくれたのでした。
あの日の会場での熱気は凄まじいものがありましたが、改めて素材を見直してみても、あの日受けた衝撃は少しも色褪せずにそこに残っていたのです。
そしてこの曲を聴いた時の感覚と、二人の再会シーンを目にした時の僕の気持ちは、ピタリと重なったのでした。

いつの世も、人は恋愛ものが大好きですよね。
巷は今も、相も変わらぬラブソング、ラブロマンスで溢れかえっています。
使い古された愛の言葉や、結末が最初から見えているような平凡なストーリーでも、人はついつい心動かされてしまうものです。
一体何故なんでしょう?
僕はこう思うのです。
それは、人にとってその感情が1番大切だから。

誰しも1つや2つは(あまり多いのも考えものですが、、)他人に言えないとっておきのラブストーリーがおありなのではないでしょうか。
相手が現在のパートナー(無論それに越したことはありませんけれど)であってもそうでは無くても、自分たちが主人公の至極のワンシーンがきっとあるはずです。
思い出したくもないような修羅場は、この際心の奥底にしまっておきましょう。
そこでの貴方や貴方の愛する人は、幾ら年月が経とうとも決して老いることはありません。
いつ何処にいても、その瞬間にタイムスリップして胸を焦がすことのできるような、そんな永遠に朽ちることのない記憶が蘇るとき、人はとびきり純で綺麗な心持ちでいられるような気がします。
そんな時の貴方は、きっと身も心も穏やかで美しく輝いていることでしょう。
きっとその状態を潜在意識が欲しているからこそ、人は幾つになっても恋愛を懐かしがるのではないでしょうか。
これは素晴らしい本能です。
その気持ちを絶えず抱いていられるなら、これほど幸せなことはありません。
その対象が誰であっても、自分自身の心に従順でいられるのが1番なのですから。

すっかり前置きが長くなってしまいましたが、今回僕が真っ先に思いついたのはこのことだったのです。
冬ソナの主人公2人が雪の中で再会する場面は、僕を含めたあの場所にいた全員にとっての、究極の景色だったのです。
大多数の人々が、彼らの再会を祝福していたのだと思います。
それはドラマの世界を共有していた人間の特権でしょう。
しかし、僕のような傍観者までもが心打たれたのはどうしてなのでしょうか?
きっとその光景が、誰もの心の深い所にある感動の元栓を大きく開いてくれたからこそ、僕はそう理解しています。
あの日集まった数万人の気持ちがひとつになり、言葉に置き換えられないような大きな感情が動いたのは、単なるイベントの盛り上がりとは次元の異なるものだったのです。
僕は舞台上の2人を見ているつもりが、実は深いところで自分自身を見守っていた気がしてなりません。
無論、南国育ちの僕にあのようなロマンチックな経験があるはずもないのですが、理屈抜きに切なく懐かしい気持ちになったのは確かです。
主人公のお2人にしても、(お叱りを覚悟で申し上げるならば)当然山ほどある彼らのお仕事の一つであり、抱き合うシーンも入念にリハーサルを行っていることでしょう。
それでも、あの時あの瞬間の二人の間に演技らしきものは見られませんでした。
プロだから当然という冷めた声が聞こえてきそうですが、一流の役者というものはその役に心底成りきれるものです。
すなわち、あそこにいたのは観客席の前で演技する俳優同士ではなく、純粋に再会を喜び合う恋人同士だったのです。
キャリアを積み重ねたスターではなく、単なる男と女だったからこそ、あのような美しい佇まいで皆を魅了したのだと、僕はそう信じます。
彼の姿を確かめた時の彼女の、そのはにかむような美しい笑顔、凛としつつも喜びを抑えきれない彼の表情は、スターの衣を剥ぎ取った素の男女の有様に思えたのです。
まあ、文章にしてしまうとこのように長ったらしくなってしまいますが、家族の皆さんがあれ程の歓声で彼らを包み込んだのは、そういう理由があったのではないでしょうか。
人は瞬間にこのような感情を得てしまう、素敵な生き物だということです。

けれども、当日の再会シーンは余りに短か過ぎたのも事実です。
当然時間に制約のあるイベントの出し物ですから、それは仕方のない事。
ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウがダラダラと近づき、いつまでもステージ上で抱き合っているわけにもいきません。
冬ソナのテーマソングに合わせた舞台演出は誠お見事で、だからこその感動とも言えましょう。
しかしながら、そもそも恋人同士の再会なぞは、衆人環視の元で行われるものではありません。
どちらかといえば、というよりも絶対に人目を避けてひっそりと遂行されるべき種類の行為なのです。
そこで僕は今回の機会を利用して、(無謀にも)この密会シーンの再構築にチャレンジしてみたのでした。
もっとひっそりと再会し、心ゆくまで抱き合う恋人同士という光景を演出してみたのです。
無論、映像にスローモーションをかけるなどといった姑息な手段は使いたくありません。
あくまでもノーマルな映像をコラージュし、自然に見せることが絶対条件でした。
仕上がりは見てのお楽しみですが、そこで大いなる力を発揮してくれたのが、MASAKI氏の"ももいろの潮風"だったという訳です。
完成した再会シーンは、以前にも増して僕の感情を揺さぶってくれました。
エンターテイメントでない、本来の姿に少しは近づけたのではないかと、我ながらとても気に入った場面になりました。
そして曲の後半部分には、主人公お2人のスペシャル映像を散りばめることで、イベント初日のダイジェストとして心地よくまとめることが出来たのです。

またもや、軽く流せない悪い癖が出てしまいました。
残りの2曲に付きましては、最終回で何とかまとめる予定です。お許しを!

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幸せな出会い
無理難題は付きもののこのお仕事、しかし今回の悩みの本質は、実はとても深いところにありました。
それは、僕が直接家族の皆様のメッセージを頂戴したり、はたまた至近距離でお顔を拝見していた経緯も大きく影響していたのでしょう。
このブログやトークイベントにおいて、その場しのぎの綺麗ごとを並べたてたつもりはなかったのですが、発売を心待ちにしている方々に、僕がここで安直な映像をお見せしてしまったとしたら、取り返しのつかない大失態となってしまいます。
せっかくの機会、皆様の御期待を良い意味で裏切りたいという僕の思いとは裏腹に、事態は一向に進展しないままでした。

ところが、そんな僕の前に忽然と一人の救世主が現れたのです。
それは"MASAKI"という名のバイオリニストでした。
実はDVDの発売にあたり、イベント2日目のBGMをリニューアルすることになり、そのための楽曲を提供してくれたのが彼なのです。
イベント本番のBGMはとても素晴らしいものだったのですが、複数の作家の作品を用いていた為、多少統一感に欠けていたのです。
その選曲も任された僕は、彼の4枚のCDを朝から晩まで事務所で流し続けました。
普段余りクラシックは聞かない僕ですが、彼の音楽は最初からとても馴染み易く、どちらかと言えばイージーリスニングに近い印象を持ちました。
しかし、単に耳ざわりが心地良いだけでなく、初めて聴くのに何処か懐かしさと不思議な安らぎを覚える、粒ぞろいの素晴らしい作品ばかりだったのです。
それらの楽曲のイメージは、いみじくも今回の映像の意図にピタリとはまり、あたかもこの映画の音楽監督として"MASAKI"さんが存在していたかのようでした。

単なる偶然にしては出来過ぎの感がありましたが、僕にとってこれ以上の幸運はありません。
さっそく手当たり次第に気になる曲を抜き出し、映像の必要箇所に当ててみたのです。
そこでまず不思議なことが起こりました。
彼の曲達には、"ももいろの潮風"や"父さんがくれたビー玉"など、それぞれユニークなタイトルが付けられているのですが、それが本作の世界観に驚くほど合致していたのです。
例えば、ぺ・ヨンジュン氏が自作の詩を朗読する場面で使用した曲のタイトルが"infinity"とくれば、映画をご覧になった方でしたら良くお分かりになることでしょう。
しかも、示し合わせたかのように曲と映像の長さまでドンピシャと一致してしまうのですから、もはや僕は苦笑いするしかありませんでした。

"MASAKI"さんは、幼い頃から一家でオーストラリアに渡り、音楽家のお父上の英才教育で育ったそうです。
そのため難しい日本語は余りお得意ではないようですが、かえってその素朴な会話が彼の飾らない人柄を引き立てているようです。
僕は幾度かお会いしましたが、とても気さくな好青年で、すぐに打ち解けることができました。

長年この仕事に携わっているうちに、良質の音楽はテレパシーに近いのではないかと、僕は次第に考えるようになりました。
その作品が産み落とされた瞬間の作家の感情が、歪まずに受け手に伝わったとき、そしてその喜びや悲しみを共有できたとき、そこに感動が生まれます。(これは全ての創作物の共通項ですよね。)
ひとつの創作物を前にして、その人の心の共鳴板が作者と同じ周波数で震え始めたとき、その証として涙がこぼれます。
そんな作品の源泉には、限りなくピュアな感動がなくてはなりません。
その感動が骨太であればあるほど、その作品は多くの人々の感情を揺れ動かします。
残念ながら、ただヒットすることのみを目的とした作品には、そこが決定的に欠けていることが多いのです。
巧みなプロモーションやタイアップでビジネス的に成功したとしても、そんな使い捨てのような物は人の心の深みに残るはずもありません。
(そんなこと、はなから望んでいないのかも知れませんが、)
要するに、作者の感情がどれだけ劣化しないで他人の心まで響くのか、そのことのみがその作品を評価する尺度だと思うのです。

その観点からすると、"MASAKI"さんの音楽はテレパシーと呼ぶに相応しいものでした。
しかも、それが小難しくひねってある世界ではなく、何処にでもあるような日常を、さり気なく切り取っているところが、僕はいたく気に入ってしまったのです。
感動とは決して大袈裟なものではなく、うっかり見過ごしてしまいそうな何気ない日常風景の物陰にも潜んでいるものです。
彼の創作物から、作者の純粋で深い洞察力を僕は感じ取れたのでした。
ほとんどのBGMの選択を終えた後、僕は選りすぐりの3曲を繰り返し聴きながら、1人ほくそ笑んでいました。
何故なら、この曲達には特別な任務が与えられたからです。
これらを最初に耳にした時から、僕の中で新たな創作意欲が沸々と湧いて来ていました。
それまで思い悩んでいたことが嘘のように思える、あるアイデアが閃いたからでした。

(つづく)

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